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![]() 結局、今回の騒動の元は何だったのか。 一言でいえば「ネトウヨ市民の策動」にほかならない。 漫画『はだしのゲン』の「残虐表現」とは、じつは原爆被爆の残虐表現が「クレーム」ではないのだ。このことは問題発端の当初にはまじめに報道されてきた。 以下は、某サイトからの毎日新聞の引用。 [松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。] これにはどこにもケロイドなど原爆被害描写の指摘はなく、問題は後段のカギカッコ部分[旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激]とあって、ここでも性的描写にからめてボカされてるが、それを除けばネトウヨ得意のいわゆる「南京虐殺否定」に始まる「新歴史認識」が基調であることは歴然だ。 これに難癖つけて亡きものにし、併せて反米要素を取り除けば一石二鳥、「アメリカ様々路線の完遂」になるではないか。 日本人はいつまでこんな恥ずかしいことをつづけていれば気が済むのか。今回は幸い良識派が勝ちを占めたから良いが、へたをすればまた笑い者を貫き通すことになった。 俺は今回の閉架問題につき、70年代日本に吹き荒れた「差別語狩り旋風」を思い出したぞ。新左翼と部落解放同盟の圧力による、「マスコミに対する差別語と《差別的表現》撤廃」運動がもたらした「歴史の歪曲」と市民社会からの見えざる反発。それにより本来表だって語られるべき差別の「問題」と「実態」がタブーのもとにどんどん裏に隠れ、ますます見えにくくされたことを! 松山市教委のいいかげんさは、あの当時のマスコミの安易さと根を一つにするものだ。「クサイ物にはフタ」「さわらぬ神に祟りなし」の無責任さは何の解決にもならないどころか、真実に覆いをかけてものごとの本質を糊塗するにほかならない。 追記: 基本的には論点は変わることはないのだが、その後ネットで以下サイトを見つけ、俺が見落としている点をいろいろ書いてあるのでリンクする。 ●参照リンク●●[日本情報分析局]から『「はだしのゲン」問題は表現規制や思想規制ではなく《ゾーンニング》の問題』 ▲
by web_honta
| 2013-08-27 22:50
| 抗米レジスタンス
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![]() 「1000円ちょっとだから買った」と書いた。「大和の撃沈シーンが見たいから買った」とも書いた。それらは多少の揶揄を込めた突っ込みであり、積極要素よりは否定要素だ。それがまちがってた。 感動という意味ともちがうが、一言でいえば凄かった。といえば分かるだろうが、期待の(笑)戦闘シーンがである。大和の撃沈描写についてはあっさりし過ぎた感はあるものの、総じて良である。 鑑賞中の印象がちょっと新鮮だった。 「この新鮮さは何だろう」と考えた結果、映画で海洋戦を攻撃される乗組員の目線で見た映画が、これまでなかったかあまりに少なかったからではないだろうか。 そう思った時、昔も昔の大昔、俺が10か11か12、ひょっとするとそれより幼い時に見た海戦映画の「頭に焼き付いたシーン」が思い出された。 それはシーンというより、シャッターで切り取った一コマという感じで、顔中血だら真っ赤にした乗組員の姿で、周囲は紅蓮の炎の沈み行く軍艦の艦内場面だ。 何の映画だったのか、あれは『明治天皇と日露大戦争』の映画だったと無理に思い込んだ時期もあったが、その映画をCSで見た機会はあったものの、遂にそれと分かるシーンはなかったものだ。 いまではそのことはどうでも良い。 ただ、記憶の中の「イヤだったなー」「あんな戦争はゴメンだなー」という暑苦しい思いは、「もう一度思い出したいなー」という一存で探していたことは事実だ。 その思いが還ってきたのだ。『YAMATO』を見たことで思い出せたのだ。 「実物大の大和を作って」という事前のネットでの知識刷り込みによって、映画館のスクリーンでないDVD画面からの映像でも大和の巨大感が得られた。 人が艦橋を上っていくシーンとか、甲板をデッキブラシで磨くシーンとかでも、巨大感が感じられて思わぬオマケ感がある。 映画冒頭のアナウンスで——これ、『黒部の太陽』だと元NHKの平光淳之助ということになるんだが、「説明調」と評判悪いみたいだが、「へえー、大和は高さ51メートルもあるんだぁー」という印象だった(一番上の信号機部分から艦底まで 参考:以下サイト)。 ●データリンク●●[戦艦大和]から『戦艦大和の艦橋部』 しかし、「(映画のナレーションで)18階建てのビルに相当」は言いすぎだろう。近所の工事中のビルの案内表示で、我が家のあるビルとおなじ階ということで注目したことがあるが、その時は11階だったと記憶する。 大和の高さが自分ちのビルとおなじだったとは!(嬉) それが浮かぶ要塞とするためだけの目的で沖縄へ出撃。しかも、護衛機の一機もない単身出撃では攻撃されるの前提、つまりは特攻出撃だなんて、アホとしか思えない自殺行為だ。 しかし、しかしと思う。 別に出演者の一人長島一茂に「滅びて分かる真実もある」的な説教されなくとも、死ぬしかない当時の空気感、軍人の気持ちのありようはいまの時代でも分かりうる。それが幸運にそれまで生き残れてきた者には、先に死んだ者へのいたたまれさとして。 それにしてもラスト、タイマーが1時間40分目くらいを表示してからの約40分、否、現代シーンにもどって「あと20分!」と感じたから差し引き20分くらいだが…… その約20分の戦闘シーンの壮絶! ネトウヨ映画評論家前田有一も「仕事ではなく一観客として」のリピーターぶりを強調していたが、そのわりに公表した評価は75点。やはり戦闘シーンが目当てで見たいと思われるのが恥ずかしかったのか(笑)。 俺は評論家でもなんでもないから堂々といえるが、とにかく戦闘シーンはこれまでの日本映画の戦闘場面では見たことのない迫力だ。海洋戦の異色性からも『プライベート・ライアン』に負けてない。 ネットのレビューで見かける、「現代の部分と戦時(激闘)の部分との不調和」もそれほどとは思わない。「政治的」云々がなくて良かった、などといってるレビュアーはネトウヨだろう。 サヨク的投稿が目立たないのは、勘違い男・長渕が歌ってることへの「右翼礼賛偏向」的レッテルへの反発かも知れないが、あんなムゴイ戦闘シーンを見て好戦になるはずがない。 それにしても、「機銃で撃たれたのに手足が吹っ飛ばない」批判とかはネトウヨだろう。こんな批判しかできないネトウヨの頭の悪さはなんとかならぬか。論理性のなさは許せても、人の名前くらいちゃんと書け、最低限の礼儀だろうがバカ。仲代達矢を[達→也←]と書くバカ、何人もいるぞ。まさか、おなじ奴の複数投稿じゃねえだろな? あと、何かの場面でおはぎが出てきたが、「こんな時勢で砂糖の配給がすくないで、甘さが足りんが」とボヤいてた女将さん、余貴美子だったか、「いい俳優だよなあ、この人」と思ったが、「甘くないおはぎ」にこそ「反戦」を感じたぞ! それと蒼井優! その笑顔が可愛いくて切なくて……「どこかで見た顔だよな、こんな顔いたよな、一世代まえだかに」とボケた体に鞭打ち、ボケた頭叩いて思い出したが、「星野真理っ!」(もちろん若い時)が出てきた時には思わず嬉しかった! ●参考リンク●●[気に入った本]から『原寸大で保存して欲しかった 「男たちの大和」のロケセット 尾道』 ▲
by web_honta
| 2013-08-22 19:17
| 映画大好き!
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![]() それよりいま、映画『戦争と人間』(山本薩夫監督、1970年)の原作本を再読中! 小説『戦争と人間』は8年まえにも読んでいて、そのときの三一新書版は全18巻。いま読んでる文庫版は全9巻。先の大戦で九死に一生を得て帰還した五味川純平氏の渾身作だが、実は本作には本篇にからむ事件々々の脚注も重要要素で(けっこうな分量!)、これを担当したのが澤地久枝さんであった。 澤地さんといえば別に戦記物を書いてるはずで、〈そういえば〉と思い出して検索、でてきたのが日本の命運を分けたともいわれる大海戦——ミッドウェー海戦を描いた『滄海(うみ)は眠る』であった。その文庫本全3巻も取り寄せたが…… まずは小説『戦争と人間』である。 ●敗戦の日リンク−1●●サイト[ダイアリー]さんから『終戦の日の東京新聞』(ただし去年2012年版) コメント欄に、本文小説のなかの脚注に触れてるが、8年まえに読んだ時には脚注を無視したものだった。 今回、はじめて脚注まで丁寧に読むことを努めたのだが、やはり脚注を読むことで「つまずき感」「途中下車感」にとらわれ、感動が中断される弊は否めなかった。しかし、それを克服すれば感動に厚みが加わることも事実である。 中身はちょうど「5・15事件」の部分だが、「5・15」は4年後に起きる「2・26事件」よりは事件の規模も、事件が社会に与えた衝撃度もちがうわけだが、しかし、軍部の独走をゆるした背景は「2・26」以前にこの「5・15」が先鞭をつけたことになる。 ここをよく読むと、当時の民衆がいかに扇情的であり、無責任であり、目先を追って後先を読めない近視眼的騒擾が取り返しのつかない「破滅」を招くターニングポイントであったことが良く分かるのだ。 歴史はくり返すというか、日本の国民大衆の愚かさ加減は民族性の問題だろうか。 民主党もダメだったが、だからといって人殺し政党・自民党に一票を入れ、みずからの命運を託す大衆のバカさ加減を何に喩えればいいというのだろう。「戦争になどならない」「政治家も自民党もそれほどバカじゃない」と思っているのだとしたら、それこそが救いようのないバカさ加減なのだ。 以下は[田村貞雄『新編・日本史をみなおす』2 戦争と現代(青木書店 1997年)]から ●敗戦の日リンク−2●●『23 犬死を結果した技術とシステム(不思議な生命判断)』 さて『YAMATO』きてるかな? 降りてポストを見てこよう(笑)! ▲
by web_honta
| 2013-08-21 20:04
| 戦争
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![]() 小説を書いていて、ゲシュタポ関係の画像をさがしていると、関連として下のような切り抜き記事が出て来たわけです。「幽霊が出るにはまだ早い」というセリフが何かの映画にあったが、夏なら幽霊も出番だからいいでしょ(笑)。 そういや、もう、半年近くにもなるんですねー。 いろいろありました!(笑)。 [(新版)お魚と山と琵琶湖オオナマズの日々]というサイトからいただきました。 赤旗の記事です。 ![]() 橋下なんか、いらね!(爆) ▲
by web_honta
| 2013-08-13 05:27
| 戦争
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![]() その映画も何かにひっかかって出てきたものだ。で、その場面を見てたら、昔、民放で放映してた拷問映画『惨殺の古城』というのを思い出し、それをまた検索したら……「惨殺」の古城、「斬殺」つながり?(笑) さ、そうなるとSMだ、サドマゾだ、杉本彩『花と蛇』だと「残酷の連鎖」がはじまって(笑)、なぜか「天誅」が出てきたのである。「てんちゅう」は何つながりだ……(??) それはともさかりえ…… ひ、ひ、『人斬り』かぁーっ!? と、俺は(朝に近い)夜中にもかかわらず大声で泣きわめくところであった(あまりの感激で)!(笑) というのも(春くらいからなら)だいぶまえから探してた作品だからだ、勝新主演幕末テロリスト列伝にして血ドバドバの流血時代劇を。 1969年(昭和44年)8月9日公開。五社英雄監督。フジテレビ・勝プロダクション製作、大映配給。大映があったということ自体時代を感じさせる(笑)。上映時間140分。ちなみに五社+フジの映画進出は『御用金』に次ぐ二匹目のドジョウとか。 見つけたユーチューブでは15本まである。「2」以降も貼ろうと思ったが、著作権に触れてまでおおっぴらにやるのもどうかと思い、あとは自分で—— 検索のしかたを教えます。動画のタイトルから巻数を抜いた表記『天誅Tenchu! (Hitokiri) Hideo Gosha』を! ここでくれぐれも間違えないように。前『 』内をグーグル検索ページにコピー、それからユーチューブ変換であって、ユーチューブ画面での検索ではありませんからね。それでも出なかったら、見られるパートのページからたどって、脇のリンクからさがす、ということです。 ●ないんだっちゃリンク●●勝新太郎主演・五社英雄監督『人斬り』part−1 「ないんだっちゃ」(←佐渡弁)(笑)とタイトルを付けたのは、日本には存在しないソフトだからです。 以前書いたでしょ。「生誕百年祭映画」で見たことにより欲しくて欲しくてたまらなくなり、運良くイチキュッパのリージョンフリー対応プレヤー(イチキュッパは1万9800円に非ずただの1,980円!)をゲットした結果、やっと入手できた北欧版今井正監督『仇討』しかり、次いで入手した二本目北欧版、工藤栄一監督集団時代劇の傑作『大殺陣』にしてしかり、日本映画の至宝というべき名作群がなぜかソフト化されない不思議。 だから「著作権もクソもない!」んだが(笑)、いちおう監督を立てて遠慮しているんだが、まったく東映といい、松竹といい、東宝といい、日本の映画会社くらいクソ企業はないもんだ。 で、かんじんの映画の話だが、勝新太郎が演じるのは幕末の反体制テロリスト「人斬り以蔵」の異名をとる岡田以蔵であり、おつむは弱いが剣を持たせたら抜群の腕前であり、刀で斬るというよりナタで「ぶった切る」といったイメージだ。 1969年といえば俺は花の17歳(??)。10月まで新宿区戸山の国立身障センターにいたから8月公開ならセンターの土曜か日曜、歌舞伎町に出て見たことになる。間違いない。 とにかく「ぶったまげた」というのが第一印象で頭に擦り込まれてる。斬ればかならず血が噴き出すし、それも半端じゃない。そればかりか障子ごと、襖ごとぶった斬るという描写で、凄惨を通りこして豪快、痛快なだけだった(笑)。あんな時代劇はほかになかった。 「声の出る台本」と割り切ればユーチューブでも十分作品の雰囲気はつかめる。ぜひお試しを! これも北欧盤で買うつもりだったが、ネットで見るだけでいいかな?(笑) 見どころは三島由紀夫が「人斬り新兵衛」こと田中新兵衛を演じ映画のクライマックスで切腹する場面。なぜなら彼は翌年、自衛隊市ヶ谷で事実切腹して果てるからだが、これを見てつくづく思った、「三島由紀夫、なぜ死んだのか!?」と。実際の時よりユーチューブで見たきのうのほうが強く感じた。俺にとってはそれほど衝撃的なシーンではあった。 画像は「大映グラフ」とのことだが、以蔵のシルエットの中の4人が右から石原裕次郎(坂本竜馬)と仲代達矢(武市半平太)、真ん中が勝新太郎(岡田以蔵)、左が田中新兵衛(三島由紀夫)。 ▲
by web_honta
| 2013-08-11 08:38
| 映画大好き!
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![]() それに先だってきのうは、ユーチューブで『原爆の子』(1952年製作、新藤兼人監督)を見た。 原爆映画である。 しかし、これにはもう一本、『ひろしま』(1953年製作、関川秀雄監督)という類似の原爆映画が生まれることになる、という数奇な出生が付随したからだ。 両者とも、原作は長田新編纂の文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店、1951年)をもとにして、当時の日教組が新藤兼人監督・脚本で映画化するつもりだったが、新藤の脚本意図が日教組の方針と合わず、新藤を離れ日教組独自で映画化するしかなくなった。そのため自主上映で細々と広めるしかなく、いまにして「幻の映画」といわれる所以である。 ただ、考えてみれば両者の対立によって原爆映画が一つ余計にできたことになる。 それでなくとも—— というのは、1945年8月6日の広島、8月9日の長崎、そして1953年3月1日の第五福竜丸と、日本は三度の被爆を受けた世界でも稀な被爆国であるにもかかわらず、被爆と原爆映画が少なすぎはしまいか? ちなみにウィキペディアなどネットで「日本の原爆映画」として調べると、 『原爆の子』(1952年、新藤兼人監督) 『ひろしま』(1953年、関川秀雄監督) 『はだしのゲン』実写版(1976年〜 山田典吾監督) 『黒い雨』(1989年、今村昌平監督、原作井伏鱒二) 『さくら隊散る』(1988年、新藤兼人監督) 『父と暮せば』(2004年、黒木和雄監督、原作井上ひさし) 『夕凪の街 桜の国』(2007年、佐々部清監督、原作こうの史代) と、ここまであたりが「広島原爆を扱った作品」。 それに対して「長崎原爆を扱った作品」でとなると、 『長崎の鐘』(1950年、大庭秀雄監督) 『この子を残して』(1983年、木下惠介監督) 『TOMORROW 明日』(1988年、黒木和雄監督) 『八月の狂詩曲(ラプソディー)』(1991年、黒澤明監督) 映画『ひろしま』が「幻の映画」たる所以は、大手映画館ではなく自主上映による「日の目を見なさ」加減に起因するが、そのもととなったのは「被爆描写」の「苛烈さ」「凄絶さ」だが、それが反米的であるとして親会社はアメリカに気兼ねして「一部削除」を要求し、日教組はそれを突っぱねたという経緯があったからだ。 しかし、それにもかかわらず『原爆の子』も、いま見ると十分反米的である(笑)。新藤映画にはかならずといっていいほど登場する看板・乙羽信子を、故郷広島をひさしぶりに訪ねた元教師の「目」として、被爆者救済の政治の貧困と、彼ら彼女らが語る被爆時の実相——その悲痛な実体はそのまま原爆を落とした当事者への怒りを喚起するのはとうぜんで、ただ、ここに貧しいながら孫と暮らす岩吉爺さん(滝沢修)を登場させ、「子供の将来のため」といって引き離す悲劇を設定する。これが唯一不満な点だった。 不条理劇とは分かっていながら、ヒロインにそれを強要する正当性が許せるか、俺は断じて許せないと反発し、岩吉爺さんが不慮の失火により焼死——というより実質、自死! する結末の付け方に、「おい孝子、人間の幸不幸は生活の安寧と食い物の多寡で決まるのか!」と、こんども見終わり頭にきた。 俺がバカなのか、感性が鈍いのか、新藤兼人の映画は結局1本として好きになれなかった。 そういうわけで、そのあとつづけて『ひろしま』を見るなんて気力もなく見たのが『ゴジラ』のほうだ。 これは凄い! 何年ぶりかで見たが、第一作『ゴジラ』は誰もが書いているように、怪獣映画などという範疇にくくれるものでは断じてない。 以前にも書いたが、伊福部昭が音楽を担当してる共通性と、いくつかの場面の類似性、そしてまた製作が第五福竜丸事件を受けて作られたという年代性などから、必然性というよりは偶然性ととらえてきたが、事実はそうではなかった。 監督の本多猪四郎は最初から、「戦争、核兵器の怖ろしさ、愚かさを訴える、というドキュメントタッチに演出の主眼を置き、単に時勢に乗って作られた怪獣映画に終わらせない普遍性を持たせ」る気概でのぞんだ。 また、[伊福部昭作曲の音楽は翌年の「ゴジラ」の劇中曲「帝都の惨状」等に転用されている。被災した幼児の泣き声を音楽の一部として用いる手法も同じである]という指摘もある(ウィキペディア『映画「ひろしま」』の記述より)。 (画像はそれぞれ映画の一場面で、上『ひろしま』、下『ゴジラ』) ![]() ▲
by web_honta
| 2013-08-06 20:00
| 映画大好き!
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![]() じつは映画『宮本武蔵』五部作、なにが哀しくてそうしたのか、第一部、第二部、第三部ときのうまで、自分でCS東映チャンネルで録画した画質も良くない映像で見ていた、大枚払って買ったBOX全集があるというのにだ(笑)。 これは、人に録画してあげるために取ってあるストック映像。 それでも、市販が出るまでは大事に見ていた愛着映像。映りは悪くとも思い入れは別。 が、しかしだ、きょうの第四作『宮本武蔵 一乗寺の決斗』だけは市販品で見なくてはアカン! というのも、本編2時間10分くらい(多分、記憶に自信)(笑)の長尺中、クライマックス! 73対1の決闘場面は、そこだけカラーから純粋モノクロに転じるのだが、テレビからのものは青みがかったモノクロなのだ。 これは地上波などでよくあることで、たとえばシネスコ横長画面をノートリミングで、画面の上下を黒く取って放映すると、「どうしたのか」「故障と思った」とテレビ局に質問やら苦情が殺到するためなのだ。白黒ではまぎらわしいが、白黒に色を付けてあればカラー、それなら文句をいわれる筋合いはないという苦肉の策ならぬ苦渋の「誤魔化し」なのだ。 それでなくともテレビの世界では、長らく映画はテレビ枠に合わせて左右を切ったデタラメ映像でお茶を濁してきた。監督はスクリーン枠に合わせて構図を決めてる、「そんなバカ相手にせず、作品を重んじろ」といっても、映像より見栄えを意識する「一般視聴者」だけ重視する局に振り回されどおしだった。 その名残を思い出しながら、きょうは市販ディスクで見るとする。 ▲
by web_honta
| 2013-08-02 00:01
| 映画大好き!
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8月1日。いよいよ夏、本番である。
しかし、それだけ短くなった感もある。9月の残暑を別とすればあと一ヶ月、そうも考えられるからだ。 今年もクーラー点けてません(笑)。 客を迎えるあさっては無理だろうが、ヘルパーにだってクーラーの恩恵は与えてない。これが去年とはちがうところだ。「差別じゃないか」と怒るなヘルパー。怒らんか(笑)。 クーラー点けると、あとがイヤなんだよ。 だって、夏じゅう点けてるわけじゃないからね。外出時はともかく、夜には、寝ている時には停めるだろう? 停めないという人もいるだろうが、タイマーなんて使っても切れたあとが暑いだろう。あれが耐えられぬ。 しかし、せめて夜が涼しければガマンのしがいもあるのだけど、夜ですら32度、33度という高温だからたまらん。おまけに湿度が不快限度超過(汗)! 笑うしかないだろう。 こんなのがつづいたら、やがて33度、34度というのが平年並みという時代もくるのかも知れない。そもそも29度、30度という平年並みなら耐えられる温度なんだからね。 ![]() 6月は16日が新潟地震記念日、また9月1日関東大震災の連想からも、夏場は地震に対して心の警戒アンテナが触れて、日々地震に対する心の武装をあらたにする。 しかし、2011年「3・11」以降、この警戒は解いていいのではないかと思った。 あの時、東北の地震に誘発されて東京も地震がきたのである。当時は俺も、東京の揺れは東北の揺れの延長と思ったからだが、さにあらず「これで向こう10年は東京も安心」はヌカ喜びとなった。 がしかし、それはいい意味で勘違いだった。 あの時、東京の揺れは誘発地震だった。でなければ、震度6ほどの揺れであるはずがない。なぜなら、地続きで震源に近い福島は震度5強で、6まではなかったはずだからだ。 したがってあれが東京大地震だとすると、やはり向こう10年は東京に大地震はこないだろう。「東京直下型地震」はデマか、断層がちがうとしても、3・11でのエネルギー量の放出で怖れるほどの規模ではなかろう。 それをなぜ報道しないのか。ま、警戒はしすぎて悪いわけはないから、報じないといって怒る気はしないが。 ![]() そのお陰をもって共産党の躍進だ。 こんな時こそ五味川純平原作、山本薩夫監督の映画『戦争と人間』(日活、1970年〜1973年、前・後篇含む六部作、9時間23分)か、小林正樹監督の『人間の條件』(松竹、1959年〜1961年、五部作、9時間31分)を見るべきなのだろうが、おとといから俺が見ているのは吉川英治原作、内田叶夢監督の『宮本武蔵』(東映、1961〜1965年、五部作、9時間半)のほうだ(笑)。反戦、平和どころか、決闘、決闘また決闘の斬り合い、殺し合い映画だ。「人を斬るごとに剣の道をきわめ、人間を高めていくって、どういうことだ?」と、そんなような疑問を映画評論家の佐藤忠男がいってたのを懐かしく思うが、この3シリーズ並べて何か感じない? 総時間が3シリーズともほぼ9時間半とおなじことに気づかれるでしょう。 ![]() 俺も「12時間ワイド」に刺激されて、ここ何年か大晦日に「長時間ひとり映画会」をひとり挙行してるが(笑)、「武蔵」か「戦争」か「條件」をそろそろまた見るかな? 追記・雑感: 画像上は『人間の條件』。場面は人間扱いされない苦境から集団脱走した、強制徴用の朝鮮人を憲兵が見せしめに「ぶった斬る」場面。二人斬って、三人目くらいで勇を鼓舞して梶が「その処刑いかがなものか!」と制めにはいるが、「軍命が全てに優先」する時代。それに逆らうことは死を意味した。「梶の一歩が自分にできるか!?」、映画を見る観客が試される映画だった。 画像中は『戦争と人間』。中央は新興財閥伍代家頭首役・滝沢修。悪役といっても戦争に協力する、いまでいえば「死の商人」的役割で、三菱とか住友をモデルにしてるのだろう。企業の経営者であってあっても、軍人でもなければ右派テロリストでもない。これがけっこう辛辣な左翼批判をやらかす。 アマゾンで本作DVDのレビューを読むと面白い。「バリバリの左翼映画」「中韓の描き方などデタラメ」と、「新歴史解釈」をもとに辛辣にこきおろすが、こと映画のスケールや製作熱に関しては、「敵ながら天晴れ」という意識もあり一様に評価するのである。 そして画像下が『宮本武蔵 一乗寺の決斗』(第四作)。 第二作『宮本武蔵 般若坂の決斗』でも、最終第五作『宮本武蔵 巌流島の決斗』でも見られるように、決闘の「闘」を「斗」とあらわすのも内田叶夢版「武蔵シリーズ」の特徴であるのだ。ちなみにシリーズ第三作正式タイトルは『宮本武蔵 二刀流開眼』。 たしか「武蔵」のBOX、定価は2万8000円だったと思うずだが、いまでは6万9800円にもなってる。しかし中古で1万5800円。そんなに残りはないと思うので、買うなら早いほうが良い。 ちなみに『戦争と人間』BOXは——これも高いなあ。 1万台(もちろん中古)で買える『人間の條件』BOXが比較的手ごろか。 ▲
by web_honta
| 2013-08-01 16:54
| 映画大好き!
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