黒澤明は1961年、『用心棒』を作った。翌年『椿三十郎』を作った。1963年につくった『赤ひげ』は、前2作の時代劇の暴力過剰表現への反省を込めての作だという。だが、1980年、1985年に作った『影武者』『乱』は何の反省だろうか。いや、どうした結果だろうか。視点は『七人の侍』を遠く離れて俯瞰視点、神の視座にまで高まってしまった。
黒澤は、そうして『七人の侍』から遠い世界にいってしまったのだ。
わたしは『七人の侍』を20回テープで聴き、20回ビデオで見て、さらに映画館とハイビジョンで10回見ている。いつも見る時に思うことは、また、あの懐かしい顔ぶれに会えるという楽しみである。
侍、百姓、立場のちがう者同士が対立し、紛糾し、だが最後には和解し、力を合わせて困難と立ち向かい、巨大な敵と対峙し、戦い、最後には勝利する。多大な犠牲を払って、生活を、大地を、命を守り抜いた記録。その時、7人の侍は無償の戦いに殉じた。
こんな映画がかつてあっただろうか。
また、その後、ふたたび作り得ただろうか。
スーパーマンが一人いればいいという安直なハリウッド路線ではなく、別々のキャラがいて、それぞれの個性がしっかりとストーリーの大地に脚をつけ、1本の作品にたくさんの人生があって、それが見事に作品として融合し、昇華した希有な作品。
作家、井上ひさし氏は、その脚本を「神がかっている」とまで激賞したほどだ。
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