関川秀雄監督の『ひろしま』を怖い映画とのみ記憶し、再見せずにきた愚を痛感する。全て子ども心のトラウマであり、これは別の形で生きて『ゴジラ』(54年作)もやはり怖かった。ラストシーン、伊福部昭のエンディング曲には「君が代」の一部旋律が使われていたとも思え、その事実もトラウマの意味も確認できた。
素晴らしい映画である。戦後8年の日本でこれほど大迫力な原爆映画が確固としたスタンスで作られたことに驚嘆する。それを作り上げた人々の良心に敬服する。『ゴジラ』の被害直下の救護所シーンで流れていた音楽は、『ひろしま』で原爆投下直後から延々30分にわたって続くシーンに流れていた音楽と同じだったのだ。
2つの映画は共に原爆映画としてくくられて間違いはない。『ゴジラ』が原爆の恐怖を怪獣映画に託して強烈にイメージしたなら、その被害直下の生への執念と隣人愛、家族愛に燃えて闘い、苦悶し、憤死する人々のリアルな生き様、死に様を描いたのが『ひろしま』だから——。
↓ DVDで出ています。
被爆直下に教え子と教師がスクラム組んで歌う「君が代」の場面が鳥肌だつほど強烈です。そのシーンはじめ、さまざまなタブーから『ひろしま』が一般の目に触れる民放テレビで放映されることは今後もあり得ないと思われます。宣伝が本意ではなく、たった2件あるレビューが的確な感想をつづっていると思われ、あえてリンクしました。
映画『ひろしま』アマゾンレビュー