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〜ある雨の夜のモノローグ〜
●台風情報 電話のスピーカー・ホーンに耳を傾けていた。 ——……台風22号は、19日午後大隅半島に上陸し、その後、四国沖を通って、しだいに衰えながらも列島を南岸沿いに北上中です。このため…… 雨はまだ続くという。待っていても無駄のようだ。予報では、朝方特に強く降ると言っている。深夜に近くなればなるほど、激しい降りになる確率は高くなる。行くなら今か。 手漕ぎの室内用車イスから電動車イスに乗り替え、エレベーターで10階から下へと降り、通りに一歩出てからワンタッチ式の傘を景気よく広げた。 風がある。雨だけならなんのことはないが、風まであるのが気にかかる。 車イスの走行レバー操作は右手なので、傘は力の弱い左手に頼ることになる。風に傘を取られてはと気が気でない。 傘を使うほどの降りではないとも思うが、めざす所へはけっこう距離がある。自分が濡れ鼠になるのも厭だが、それ以上に車イスの足乗せに、襟巻を羽織って置いてあるビデオ・ケースに雨が浸透しないか心配だ。レンタル・ビデオを返すための外出だったった。 なんの、これしきの風に負けてたまるか。 胡座をかいて、一層身を縮める。そして組み合わせた細脚の一端に、傘の柄の曲がった部分を引っ掛ける。痩せた体はこんなときにもいろいろ便利だ。 ちょっと緊張して気取ってみると、このあいだ観た『関の弥太ッペ』にでもなったような心境になる。合羽からげて三度笠、長ドス抱いた一人旅……探し続けたたったひとりの肉親の妹の死を知ってのち十年、ふとした縁から情をかけた娘と再会、淡い慕情を感じ、娘の難儀を助けた後、敵の手勢が待ち受ける決闘の場へと道を辿る……。 商店街へはこの道をまっすぐ行けばいい。そう思い、やがて広い通りを渡る。 しまった。そこは歩道と車道の区別のない通りだった。こういう通りは、えてして違法駐車が多い。あちこちに駐車する車をよけて行こうとすれば、当然道路の中央寄りを走らねばならない。対向車を気にして気の休まる暇もない。走って来る車に傘でも触れたら、それこそ命取りにもなりかねない。 ええい、ままよ、どんと来い! その時はその時さ。 山下耕作監督の『関の弥太ッペ』のラスト。錦ちゃん演ずる弥太郎は無数の白刃のきらめく中へ、たった一人で立ち向かって往く。その背中を捉えた長い長いラスト・シーン。〈弥太郎は死ぬな。いや、きっと死ぬ〉 そう思えて仕方がない。だから何度あのシーンを見ても胸が締めつけられるのだ。妹に死なれ、天涯孤独となった弥太郎がやっと辿りついたあの修羅場が、恰好の死に場所であったのだ。 〈あ、いーなー〉 映画の壮絶な余韻を想い起こし、うっとりとしていた油断に突風が吹いた。あっと思った刹那、左手に差した傘が一瞬宙を舞った。辛うじて飛ばされるのは押さえたものの、風に煽られた傘がそのまま前に回り込み、気がついた時は電動車イスの前輪で櫟いていた。 「大丈夫ですか」 ちょうど通りかかった3人連れの若者が、案じて駆け寄った。 「あ、車っ」 差し迫った声を発した。 思わず傘を手放し、慌てて電動車イスをバックさせた。それがいけなかった。車輪と車体に挟まれ、哀れ傘の柄は無惨にひん曲がってしまった。 「あ、あーあ」 家では一番上等の部類の傘だった。 がっかりしている横を、車が猛スピードでよけて過ぎた。 「それじゃ」 「気をつけてくださいよ」 「はあ」 俺は、まだ茫然としていた。 雨はほ止んど止んでいた。傘などさすことはなかった。これではなんのために傘を台無しにしたのかわからない。傘にしてみれば、犬死に以外のなんでもない。 商店街が見えた。いつもなれば買い物の奥さん連中で賑わう頃だが、あいにくの雨模様では人の出足もいまひとつ、八百屋や魚屋の売り声にも冴えがない。おじさん、おばさん、頑張って! 俺はこの通りが好きだ。松屋へ行く通りよりずっと好きだ。会社関係のビルが建ち並ぶだけの松屋への道のりは退屈なだけだが、この通りには生活の匂いが満ち溢れている。片道20分はかかろうかとも思うそのレンタル・ビデオ屋をしょっちゅう利用するのも、ひとつにはこの商店街を通ってみたいからなのだ。 どこかの家のおばあちゃんが、雨戸を閉めかけ、ビデオの静止画のようにぴったりと立ち止まったまま、まん丸い目で電動車イスの動きを眺めている。静止画の目だけが俺の進む方に動いている。 〈おばあちゃん、これが電気で動く車イスなんだよ。便利なものが出来ただろう? いいものを見たね。今日はきっといい日になるよ。あ、そうか、今日はもう、夜しかないのか!〉 ●雨と侍 「『ダイ・ハード』、どうでした?」 ビデオ屋の若い店員に感想を訊ねられた。 『ダイ・ハード』は、今、超人気の貸し出しビデオだった。別の店では40本も揃えていながら、いまだに先客が後を絶たず、きのうまで見ることのできなかった作品だった。 ロサンゼルスのハイテク高層ビルが武装強盗集団に乗っ取られ、たまたま居合わせた非番の刑事が神出鬼没の活躍で悪漢たちをやっつけるという内容で、奇抜な仕掛けやアイディアがあるわけでもない、派手なアクションだけの映画に過ぎない、と、俺は評価を下している。 「どうも、ああいう一人で頑張るだけの映画はね」 「俺は一人で頑張るのが好きだな。カッコいいじゃん」 店員君は言ってのけた。 団結して事を為すということが煩わしく、一人でスーパーマンのようになんでもできれば格好よい、そういうのがもてはやされる風潮なのだろうか。 それよりこの店は、国内では販売してない黒澤明の作品のビデオを3本も輸入して置いてある。それが気に入った。 店を出てから、あれこれ映画の思い出に浸ってみた。黒澤作品について、池袋・文芸坐の支配人と話したことがある。 「地震が怖いから映画館では大抵後ろと決めているんですがね、黒澤明のときは覚悟を決めて真ん中の通路の一番いい場所に陣取る。『生きる』とか『七人の侍』は最高だな。ああいうのを観ているときなら、たとえ天井が落ちて来て死んでも本望だと思っちゃう」 ためらわずそう語ったものだ。 その日は2つある館の地下の方で、岡本喜八かなんかの作品をやっていた日だったと思う。支配人は親切に階段を降ろしてくれたうえ、 「安心して鑑賞してください」 そう言って、万が一の備えに警備員まで付けてくれたのだった。俺が感激したのは言うまでもない。 黒薄明の作品の中で最も衝撃と感動を受けたのは、なんといっても『七人の侍』である。その題名を初めて耳にしたのは、養護学校の中学生のとき、歴史の授業でだった。「村の自治」というテーマに触れ、社会科の先生に「『七人の侍』という映画の中に、侍を雇って野武士から村を守った百姓たちの姿が描かれている」と聞いた。先生もいたく感激したらしく、「お前たちも、もしこの映画に出会ったなら、必ず観るといい」と強く薦めた。 百姓が侍と共に戦う、そんな映画があっただろうか。話を聞いたその瞬間から、俺の胸はときめいた。 卒業後、何度か『七人の侍』と出会うことになった。 来る年ごとの収穫期、村には野武士の群れが襲い、食糧を収奪し、女をさらって行く。悲嘆に暮れる百姓を前に、村の長老は「腹の減った侍を雇え」と説く。村の有志が宿場町まで出かけて頼りの侍を探すものの、腹一杯飯を食わせるというだけで雇われる侍がいようはずもない、それが百姓たちが払える精一杯の報酬だとしても。断られて殴られ、蹴飛ばされ、地べたに這いつくばるしかなかった。百姓は死ぬしかないのか。侍を雇うことなど絶望的と思えたそのとき、熱い湯気のたなびくてんこ盛りの丼碗を取り上げ、「この飯、決しておろそかには食わんぞ」と、おごそかに加勢を買って出た歴戦の武将・勘兵衛が現れた。そして一人、また一人と、百姓の窮状に同情し、知行や恩賞には全く無縁の戦いに身を捧げることを誓った侍が7人。やがて戦いの時が来た。一騎、また一騎と押し寄せる野武士集団……。最後の一戦は、しのつく雨の中。 「残るは13騎! これは、全部村に入れる。この前を通ると同時に追い討ちをかけ、村の対手(ついで)で挟み撃ちにする! 勝負はこの一撃で決まる!」 勘兵衛の声が豪雨を突いて響き渡り、怒涛の如く押し寄せる野武士の群れ。迎え撃つ百姓、侍。双方泥まみれになって演じられる激烈なる死闘。日本映画史上かつてなかった大スペクタクル、興奮の坩堝!……俺の頭の中で、めくるめく映像が錯乱していた。 帰りの商店街の肉屋に立ち寄り、500円の牛の切り落としを買った。500円の切り落とし牛肉は、700円の焼肉用牛肉に遥かに及ばないことはこのあいだの味見で十分知りながら、仕事がめっきりと減って稼ぎの少なくなった今は、倹約にこれ努めるにしくはない。せめてその200円の違いに愛おしささえ感じて味わおう。 商店街を抜けてからは、道を変えて大通り沿いを選ぼう。車の通りはほとんどなくなったが、それよりなにより道端にうっちゃって来た傘をもう一度見るのが辛い。 ●切符 映画はときに、観る者に思わぬ勇気を奮い立たせる効果もある。 俺の机の抽斗の奥には、一枚の古びた電車の片道切符がいまだ大事にしまわれてある。昭和48年4月22日付のその切符は、「(小田急線)千歳船橋→40円区間」のもので、検札の鋏も入っている。鋏が入れられながら、ついに目的駅に辿りつけずじまいの切符だった。 当時、世田谷区の障害者職業訓練施設にいた俺は、遠出の外出はタクシーでと決めていた。そこから2キロのところに小田急の駅があったが、階段の多い駅は車イスでは使えないものと諦めていた。 ある夜、ほろ酔い気分で帰って来た車イスの寮友が、電車に乗って帰ったことを自慢した。千歳船橋駅の上りのホームヘは、7段の階段しかないとのこと、帰りも、ラッシュ時に開放する臨時の改札口を使えば跨線橋を渡らず、ほんの数段の階段で外に出られることを聞いた。 4月15日。空は曇っていたが心は軽やかだった。千歳船橋までの2キロを手漕ぎの車イスで行き帰りするのは、握力の弱い俺にとって、いささかしんどい。だから、そこだけタクシーを使ったとしても基本料金でしかない。千歳船橋の駅に着き、踏切の向こうの駅の看板を見上げたときは正直、緊張した。券売機に料金を入れるときは、その位置の高さに難儀した。しかし、他のお客に助けられてすぐ買うことができた。狭い改札口も体を浮かし、シートを持ち上げ、車イスを畳ませ加減にして僅かでも幅を縮め、車体を擦らせながらもやっと通り抜けた。階段は人に頼るしかない。駅員室の扉を開けて頼んだら3人ばかり出て来て、ひょいと難なく抱え上げてくれた。 なんだ、どうということはないじゃないか。切符を買うときも、改札を通り抜けるときも、慣れない動作で恥ずかしい思いをし、頼んだ駅員に断られでもしたらどうしようかと思ったが、全てが取り越し苦労に終わった。世の中、悪い人などいるものかと思った。 車窓を走る景色を見ながら、天駆ける思いだった。世界が急に広くなったような気がした。 その日は新宿西口で養護学校時代の友だちと久々の再会をし大いに旧交を温め、かつ痛飲した。人生がバラ色に輝いて見えた。 帰る頃には雨に崇られたが、冷たい雨さえ心地よい友だった。帰りのホームでも親切な駅員に助けられた。 翌る週の日曜日には映画を観に行こうと決めて心が弾んだ。施設暮らしの明け暮れで、今までできなかったことを一挙に取り返す勢いでいた。 空も晴れ、心はそれ以上に晴れやかであった。 施設の前にある馬事公苑沿いの坂を上り、タクシーを待つ。ところがこの日はいくら待っても乗車拒否に会い、なかなかつかまえることができなかった。世の中やっぱり悪い人間もいるものだな、と思って一時寂しい気分に落ち込んでいたとき、農家のおばさんが見かねて出て来て訳を訊いた。そして思いもかけぬ親切を買って出てくれ、息子に小型トラックを運転させて駅まで運んでくれた。 嬉しいことはそこまでだった。 券売機にやっと手を届かせ、改札口をやっと通り抜け、駅員室の扉を叩いて階段の介助を頼んだところ、 「付き添いはいるんですか?」 このあいだはそんなこと言わなかったじゃないか。 「困るんですよ、付き添いのない車イスは。電車内でなにかあったら危ないし、第一、他のお客さんの迷惑にもなりますから」 このあいだは何も危ないことなどなかったぞ。「他のお客さん」と言うが、こうして同じ料金の切符を買った車イスはお客じゃないのか。穏やかに抗議したが、一向に聞き入れる風もない。 「……会社の方針ですから。お願いですから、付き添いつけてまた出直してください」 頑として、無理にでも押し返す態度だった。いや、無理にでもは当たらない。か弱い障害者一匹、叩き出すのは造作もない。 それから先は悪い夢でも見ているような気分だった。「わたしが付き添います」というお客でも現れないかと、藁にもすがる思いだったが生憎それもなく、俺はやにわに階段に坐り込み、自力で車イスを引っぱり上げにかかった。もとより不可能なことはわかっていたが、「そうまでするなら」と駅員が気持ちを変え、乗車を認めて階段をまた抱え上げてくれるのではという計算があった。しかし、 「そんなことして、通るお客さんの邪魔にもなるし、みっともないでしょうが。やめてくださいよ」 そう言って俺の体を軽々と抱き上げて車イスに乗せ、そのまま改札の外へ押し出してしまった。 茫然とさまよい、気がつけば暖簾を提げたばかりのラーメン屋に入り、冷や酒を注文していた。呑みながら、世の理不尽に腹が立った。涙が出た。明るいうちから酒を呑み、涙をこぼしている車イスの男を、店の娘さんはなんと思って見ていたことか。 ひと酔いして、店を出た。世をすねた平手酒造の心境だ。寄らば斬るぞ。 線路沿いを通りかかったタクシーを止めた。なにか言ったら怒鳴り返す腹づもりだったが、運転手は案外に親切だった。なにがなんでも今日は映画を観てやるんだと心に誓った。理不尽に敗けて目的を断念するほどヤワではない。 ただ、新宿行きは諦めた。財布と相談し、一番近い渋谷へと進路を取った。途中、吐き気を催し、運転手に頭を下げて人気のない通りに停めてもらった。乗ったまま精一杯首を伸ばし、しこたま吐いた。 「お客さん、呑み過ぎはいけませんねえ」 「はあ、すんません」 これは素直に謝った。 ●旗 渋谷駅前の前線座という名画館に入った。 1本目は眠いだけだったが、ダミアノ・ダミアーニ監督の『警視の告白』が始まってからは目がらんらんと輝いた。マフィアと癒着する警察・検察権力の悪を追及し、一人立ち向かった男の孤独な戦いと死を描いたイタリア映画だった。 話の筋はやや複雑で、駅員に叩き出された悔しさからの興奮いまだ冷めやらぬ頭ではストーリィの理解に苦しんだが、とにかく荒っぼいやり方でマフィアの実態を世間に晒そうとしたマーチン・バルサム演ずる警視が、組織の壁の厚さに挫折し、最後は自らマフィアの黒幕のひとりを射殺して投獄され、刑務所内に放ったマフィアの手先によって殺害される。そして興奮のラストを迎える。 それまではダーティとも思える警視のやり方に反発し、敵対してきたフランコ・ネロ演ずる若き検事補だったが、警視の死によって事態の真相を感じとり、真相追求の後を継ぐ決意を固める。陰の大物とも思える検察庁長官を階段の上で待ち受け、まっすぐ見据えて立ちふさがるラストシーンに感動し、勇気を覚えた。 〈このまま引き退がってなるものか!〉 熱い怒りをたぎらせた。 その後、仲間を募り、私鉄各社に公開質問状を送りつけた。返事は来たものの、「車イスでの乗車の際は必ず付き添いを付けるように」との方針は申し合わせたようにどこも一致しており、当の小田急駅には「車イス一人乗り拒否」を意味する貼り紙まで出された。 8月、車イス20台を含む総勢50人の障害者らが千歳船橋駅を取り囲んだ。それぞれ、「車イスの一人乗りを認めよ」「障害者差別を許さないぞ」などと、模造紙に絵の具で書きなぐった粗末な幟旗を持って、道往く人にビラを手渡し、訴えかけた。 経堂駅、祖師谷大蔵駅にも出向き、新宿歩行者天国では100人規模のデモを行なった。そして、民鉄協会交渉、運輸大臣への陳情などを経て、11月、小田急に全訳での一人乗りを認めさせたのである。翌年4月、千歳船橋の駅には車イス用のスロープも出来た。無数の障害者とその仲間たちの団結、支援の勝利であった。 ブレーキの音を喚めかせ、身近で車が急停車した。車の鼻先を睨んで舌打ちした。青信号で渡っていてもああいう手合いがいる。あんな奴からは免許証を取り上げろ。今に人を殺すぞ。 風が、ひゅう、と稔った。台風が近づいている。嵐の予兆に追われながら家路を急いだ。 (1989年11月号/No128より) 「僕」を「俺」に替えた以外ほぼ原文 *同名タイトルに当サイト映画エッセー集あり。また、過去にNHK衛星で同名番組があったが、命名は本作が最初。 *ただし、タイトルはまったくのオリジナルではなく、『七人の侍』『足摺岬』などの名作にも出演、1981年、食道がんにより他界した俳優・木村功氏夫人・木村梢さんによる(がん闘病記を兼ねた)エッセー『功、大好き』をもじったもの。
by web_honta
| 2009-02-12 00:56
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