モノクロの重厚感が時代の閉塞感、不安感ともあいまって、ずーんと胸にくる。ホームズの時代は第二次大戦の暗雲が本国イギリスにも色濃く迫っていた時期で、参戦をひかえてナチの謀略が陰に日向に人々の生活を脅かし、犯罪気運もいや増してる時期だったのだ。
変なたとえだが、太平洋戦争のとっかかりを背景に江戸川乱歩の怪奇小説をあてはめて考えれば、ホームズ映画を見た直後のオレの感想がスンナリ理解できると思う。
たとえば松本清張を例にとり、その映画化作品を見わたせば顕著だ。いつも思うのだが代表作が『砂の器』(野村芳太郎監督)だけでは寂しい。『眼の壁』(大庭秀雄監督)『点と線』(小林恒夫監督)『黒い画集 あるサラリーマンの証言』(堀川弘通監督)『波の塔』(中村登監督)『無宿人別帳』(井上和男監督)『風の視線』(川頭義郎監督)『霧の旗』(山田洋次監督)『けものみち』(須川栄三監督)『内海の輪』(斎藤耕一監督)『黒の奔流』(渡辺祐介監督)『球形の荒野』(貞永方久監督)『天城越え』(三村晴彦監督)まで、そうそうたる同工異曲のフィルモグラフィーに貫かれてるではないか。
対する乱歩作品は、オレの不勉強も手伝って加藤泰監督『陰獣』くらいしかない。
格好な障害者映画として思い浮かぶ乱歩作品といえば、その名もズバリ『芋虫』があるが、映像としても一目瞭然、これほど的確な要素を兼ね備えた原作が、これまで忌避されてきたのは解同=部落解放同盟による「(暴圧的)反差別キャンペーン」による影響だ。「芋虫」といえば、それだけで動きののろさ、外形の醜さなどにより、表面的には原作のもとをなす戦傷障害者そのものなのに)、最近原作を監督した若松孝二でさえ
『キャタピラー』なる題名で逃げてしまった!
「エセ人権派」はいまの流行り言葉か知れないが、70年代は言葉狩りが「差別」と断じ、見て分かる情況、読んで分かる表現を、わざわざ分かりにくい言い回しに置き換え、書き換えてしまった。そして今後、それから洩れて従来通りの言い回しをしてしまった人々を「差別者」「障害者の敵」と見なし、人民裁判の如く大衆の面前で吊し上げて弾劾したのである。
これは笑うしかないのだが、オレには忘れられない経験がある。
当時は電動ではなく手漕ぎの車イスをえっちらおっちら自力で漕いでいたものだが、いきなりうしろから追い上げてきた自転車の男が、追い抜きざま叫んだものだった。
『この身障者めーっ!』
カタワでなかったのを幸いとすべきか。
差別する気持ちが根底にあれば、発することばなどは聴覚障害者であれ、盲者、きつおん者なんだって関係ないんだ。
取っておき情報がひとつだけある。
じつは『芋虫』の映像化作品はあるのだ。世界11人の映画監督が、「独自のイメージ」を与えられ、11分1秒で撮り上げた映画
『11'9''01/セプテンバー11』の最後、日本代表として割り当てられた今村昌平監督が撮ったそれだ。