そもそものきっかけは、ケアマネから「急なことで」と詫びたうえで「月一回の訪問調査をきょうに」と打診され、もとよりこっちはヒマ人と気にせず応じたことからだ。
午後の訪問で、機能低下と筋力低下で「このごろ、できなくなった」諸々伝え、まだ、それほど深刻なことでもなく、「毎日、体操4回」の励行を答えて帰ってもらった。
その間際、たまたまハードディスクに溜め置いた「芝居」の動画を「ちら見」してもらい、ひとりになると何気に〈さて、インターネットで「本間康二」検索したら、いまなら何が出てくるかな?〉との疑問を生じたことだった。
愕いた!
長い人生で「愕く」なんてことは滅多にあるものではないが、そのレベルで愕いたことが、きょう現実に起きたのである。
インターネットの検索項目に「芸術の秋に挑戦」というタイトルが浮かび、それが昔、映画『野性の証明』の開始前に流れた、中日映画社制作の「ニュース映像」であることを確信して呆然と固まったのである!
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本間康二|中日映画社
さて、ここが大事なところなので、唐突ながら敢えて書くが(笑!)、これとは別にテレ朝(当時は「NET」)=10チャンネルが1978年に報じた、「オレらの行動」に触れなければならない。
そもそもの成り立ちから語れば俺が新潟の養護学校を出て上京、東京新宿の国立身障センターで大人の障害者たちと混ざり合い、ひねたガキに成長した16の時にまでさかのぼらねばならないが、それは端折る!(笑)
車イスを足とする俺の人生にも、いくつかの「節目」があるとすれば、そのひとつが1978年だった。
1978年、それは日本テレビが、ピンク・レディーなど有名アーティストを総動員して挙行した「24時間テレビ『愛は地球を救う』」がある!
マスコミ総体の話でいうと、2年まえの1976年、「植物人間に《安楽死》を」といって物議をかもした世の風潮に反発を感じ、ミニコミ「月刊障害者問題(略して障問)」を創刊した俺は、安楽死問題でトップを切って、つづく第二のキャンペーンとして日テレ「偽善テレソン」を撃つことになったわけだ。そして『笑いは地球を救う』を謳った——この場合の「地球」も、「恥丘」と揶揄しようかとも思ったが女性差別で、それはさすがに抑えたものだが……(笑)
ところでさきごろ、NHK教育がバリアフリー・バラエティ「バリバラ」でも、いまでもつづけてるらしい「テレソン」を「偽善」と看破、『笑いは地球を救う』とやっつけたが、抗議行動にしても、ネーミングにしても、もともと嚆矢はこのわたしですからね、いっときます(笑)。
ちなみに、このときのメインテーマ「寝たきり老人にお風呂を!」は、「寝たきり老人には棺オケを!」と皮肉ったんだよなー(笑)。
それらを称して街頭カンパ(↖上画像)までしたものだが(立て看「標語」に注目!)、通行人の酔っぱらいからは「乞食までしてやる芝居なんかやめちまえ!」と怒鳴られたり、ホームレスからは「オレらよりいいもの着てる」と揶揄されたり……(笑)(↘下画像は1968年の「小田急問題」、ここをジャンピング・ボードとして「障問」が生まれた!)