
ビデオでは700本まで集めたものですが、それを凌いであまりある本数−−DVDですから枚数といいましょう、その枚数を新たに録画しなおしたり、お金を出して買ったり、その際、洋画はアマゾンでは安価で、しかも注文して間もなくくらいに届くいまの環境はマニアにとって超がつく快適さでしょう。
数だけじゃないんですよ。
たとえば「永遠の渥美清」と銘打ったタイトル、ドラマが2つはいってますが、『時間よ、とまれ』は名匠早坂暁脚本。制作局はいまでいうテレビ朝日ですが、番組枠は「土曜ワイド劇場」第一弾−−(1977年7月2日開始)えっ!? と誰もが首かしげるでしょうが、当初、土ワイは1時間半の長時間ドラマ枠だったんです。
渥美清が映画『八つ墓村』で演じたような茫洋なタイプの刑事役を演じ、小林桂樹が功成り名を遂げ、いまでは新聞ダネになるほどの巷の名士−−が、しかし、実は殺人の前科をもちながら、善行をふりまき糊塗してるという、その過去の「罪」を渥美刑事が看破して追いつめるが、いまから見たらびっくりするくらい若くてぴちぴちした市原悦子が、過去に恋したことのある小林桂樹との哀しいからみを演じさせられる。職業柄とはいえ、このときの渥美刑事が憎たらしく見える(笑)。
黙って見過ごせよ、と、そうもいかぬか。いまなら時効もないしね。
●共感リンク●●
ジョニー暴れん坊デップの部屋「時間よ、とまれ」
傑作だったなー。
これを見るたび、俺は内田叶夢監督の映画『飢餓海峡』での、三國連太郎と娼婦あがりの女性演じた左幸子とのからみを彷彿させられ、妙にほろりとさせられるのだ。市原悦子は殺されることはなかったものの、いまは落剥した「アル中の女」ということで、もつれる足で過去の想い出にダンスするシーンから、これも「ほろり」とさせられるのだ。
いまでいうネトウヨどもから、「左幸子はあっちのほうも左(左翼)だ」と揶揄されたものだが、冗談じゃない! 演技者としての左幸子は演技を超えた巧者な役者だ。
俺が「永遠の渥美清」と銘打ったテレビドラマ「泣いてたまるか」のうちの『雪の降る街に』−−1967年12月24日放映、できれば毎年、イヴの夜に見たいドラマだが、しがない刑事である渥美清を支え、日本列島あちこち転勤するたび、左幸子の女房がおなかに詰め物して、妊婦をよそおったのはなんのためか知ってるか?(ほんとは子どもが産めない体なんだが) 手塩をかけて育てた3人の子が、北夫だったり志摩子だったりする名前の由来に想像つくか? そうして何人もの犯罪者と触れ合い、犯罪者の妻の追いつめられた現実と向き合わされ……あとは判るだろ!
寅さんじゃない渥美清。『時よ、とまれ』と『泣いてたまるか〜雪の降る街に』、映画『父子草』までがセットの「永遠の渥美清」を誰か本気に企画しないかな。あえて付言、『男はつらいよ』は絶対抜きだぞ!(笑)
画像は『時間よ、とまれ』だが、これ見て思い出した。あれには高橋洋子(1953年5月生←なぜか書いちゃった)(笑)も共演してたが、高橋洋子といえば『旅の重さ』(斉藤耕一監督、1972年)では大胆に脱いだし、「高橋洋子のヌード」といえば『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督、1974年)での高橋洋子ほど哀しい役どころを、俺は多く知らない。悲哀さが際だってた。
だから『田舎刑事』で出てきた高橋婦刑の朗らかさが、なんだか生まれ代わりのように思えてほんわかしたのだ。結局、渥美清とのあいだには「寅さん」的からみは欠片すらもなかったが、また会える日を予感してほがらかな幕切れだった。
♪ 晴ーれた空ぁ〜、そぉーよぐ風ぇ〜
最期は、そういう唄でもあったな!(笑)