もう、かなりまえになるんだが、めずらしい写真を見つけた。それが、この画像。
江戸川乱歩先生と松本清張先生(若い!)にはさまれ、水上勉先生までが写っているという超貴重な写真でもある。
水上勉先生のは『飢餓海峡』と『海の牙』しか読んだ記憶がない。——が、因みに『海の牙』は公害病「水俣病」のドキュメントを小説風にアレンジした作品だが、ストレートでは差し障りがあった時代背景からか、「水潟病」と表記してる。
江戸川乱歩先生の講談社全集は『幻影城』以外全部読破した。活字中毒のおり、8400円で出てた中古15巻全集を、「これ幸い!」とばかりに一気買いしたものだ。
松本清張先生の作品は60〜70年代、俺が10〜20代の頃、主要作品のあらかたを読破した。しかしその後の20年余、またさらに豊富な作品群が続々生み出されたことはいうまでもない。両方にまたがって労作『昭和史発掘』がある。
清張全集(下画像)は、残念ながら初期のはアパート火災で失った。火事は半焼で家財は全て焼けなかったのだが、油煙が外に出た部分を黒く変色させ、その汚れはもとより火事場のきな臭さが耐えられなかったからだ。
画像はもちろん一部に過ぎないが、この画像だけでも面白いことが分かる。
まず、清張さんはタイトルの建て方も独特だが、最近、このうち『わるいやつら』と『けものみち』を買った。そこで平仮名タイトルを三巻並べてみたくなった(笑)。確か『たづたづし』という作品があるはずだと思ったが、『眼の気流』に含まれる短篇の一篇と知ってあきらめた。
『死の枝』も短篇集で、このなかの『家紋』というのは、おどろおどろしさ充満の実に気持ちの悪い作品だった。江戸川乱歩作といっても誰も疑わないだろう。いや、良くも悪くもあの「余韻嫋々」が「清張さんそのもの!」ともいえるのだ。
共に収録されている『球形の荒野』は、したがって思ったほど長篇でないことになる。最近、『ゼロの焦点』を文庫で買って再読したが、これも短篇集『Dの複合』とのセットとのこと、どうりで薄っぺらいわけだ。
逆にいえば『わるいやつら』や『けものみち』『砂の器』がいかに長篇かということのあらわれだが、『わるいやつら』は面白かった! 一気に、ほぼ一日で読めたくらいだ。
不思議なのはこの『わるいやつら』、いままで全然読んでなかったんだねえー。『けものみち』は確かに読んだ記憶があるはずだが、『わるいやつら』には既視感というものが全然感じられなかった。
若い時は正義感旺盛なあまりか(笑)、ピカレスク・ロマン(悪漢小説=悪側目線)にはついていけないものがあったんだね。思い入れられない。酌量の余地なし(笑)。しかし年齢を考慮に入れなくてもこれは愉快、痛快、断然面白かった。
いや、「早く捕まっちまえ」と、「主人公たちが破滅した時の溜飲」を期待して読み進むんだろうね。悪趣味な読書だ(笑)。
きょうは全集後期から『夜光の階段』『風紋』がセットの46巻が届くのだが……(この「……」はいろんな意味があります。『夜光の階段』はドラマ化された作品がつまらなかったし、『風紋』はたったいま、くそみそにけなしてるブログを読みました)(笑)。
失敗したかな??(汗)