我が家のテレビの横はいま、こうして2つの「ゴジラポスター」が並んでいるのだが、けっきょく3度目の『Godzilla』鑑賞は出かけるのがめんどうくさくなって(恥)やめた(笑)。三度目視聴欲求はDVDのために取っておこう、と。
さ、そうなるとこんどは無性にDVDが欲しくなって、おや? 1500円なんて、早くもそんなに安くなったのかと早とちり、サントラだけのCDであったというお粗末。しかし、5000円なら買ってもいいかと踏んだ北米版だが、日本語字幕がない。
スペイン語があるのに日本語がない、スペインだって日本とたいして大きさは変わらないだろう、というのは間違いで、中米、南米とスペイン語圏は広いわけで、しかし中国語字幕があって日本語字幕がないのは片手落ちではないか。と、やはり憤慨した。
けっきょく、日本語版を待つことにした。
というかここ最近、あんまり映像への執着はないんですわ。映像よりかは活字、小説読みに楽しみを取られているんですよ。
こないだは久々の旅情ミステリー『山峡の章』と、『眼の壁』調の本格サスペンス『溺れ谷』でじっくり清張を楽しみ、とうとう夏木静子にまで手を伸ばし、名作と謳われもしている『蒸発』を読破しました。
偶然見かけたはずの「謎の女」が、目的地に着いた機には乗っていない、搭乗客が一人「消えている」という不思議な出だしで始まる本作には、ミステリーというより怪談じみた雰囲気までただよい、それが土屋隆夫の次の作品につなげたのでしょうね。
いま読んでる作品は『天狗の面』というタイトルで、分厚い文庫本、創元社推理文庫、「土屋隆夫推理小説集成」八巻あるうちの一巻目なのだが、開巻早々ミステリアスの展開で惹き込まれた。人物描写が豊かで思い入れがしやすい。上手いねえー。
小六だったか中一だったか、いまとなっては記憶に自信ないが、尾崎士郎『人生劇場』だったことは間違いなく、それを読んでた時は「これなら俺にだって小説が書ける!」と性懲りもなくバチ当たりなことを思いついたが、創作喚起力はたしかにあった(笑)。
いまはそこまでの情熱というか、向こう見ず感はないが、「ない」というより大人による「処世」が勝って気力が「起きない」だけなんだよね。
それじゃダメだと思う。
もう一度気力を起こして、勃たないチンポといっしょに筆を立たしてみようぞ(笑)!