昨夜のウェブ東京新聞は、松山市教育委員会が同市立小中学校に「漫画『はだしのゲン』の閲覧制限を求めた問題」で、一転して「松山市教委が『はだしのゲン』の閲覧制限を撤回した」と報じた。上部機関の思惑・方針とは別に、市民や委員の良識が勝利した形だ。この間いくつかの記事で、一貫して市教委の一方的横暴を批判してきた東京新聞の良心的報道の賜でもある。
結局、今回の騒動の元は何だったのか。
一言でいえば「ネトウヨ市民の策動」にほかならない。
漫画『はだしのゲン』の「残虐表現」とは、じつは原爆被爆の残虐表現が「クレーム」ではないのだ。このことは問題発端の当初にはまじめに報道されてきた。
以下は、某サイトからの毎日新聞の引用。
[松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。]
これにはどこにもケロイドなど原爆被害描写の指摘はなく、問題は後段のカギカッコ部分[旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激]とあって、ここでも性的描写にからめてボカされてるが、それを除けばネトウヨ得意のいわゆる「南京虐殺否定」に始まる「新歴史認識」が基調であることは歴然だ。
これに難癖つけて亡きものにし、併せて反米要素を取り除けば一石二鳥、「アメリカ様々路線の完遂」になるではないか。
日本人はいつまでこんな恥ずかしいことをつづけていれば気が済むのか。今回は幸い良識派が勝ちを占めたから良いが、へたをすればまた笑い者を貫き通すことになった。
俺は今回の閉架問題につき、70年代日本に吹き荒れた「差別語狩り旋風」を思い出したぞ。新左翼と部落解放同盟の圧力による、「マスコミに対する差別語と《差別的表現》撤廃」運動がもたらした「歴史の歪曲」と市民社会からの見えざる反発。それにより本来表だって語られるべき差別の「問題」と「実態」がタブーのもとにどんどん裏に隠れ、ますます見えにくくされたことを!
松山市教委のいいかげんさは、あの当時のマスコミの安易さと根を一つにするものだ。「クサイ物にはフタ」「さわらぬ神に祟りなし」の無責任さは何の解決にもならないどころか、真実に覆いをかけてものごとの本質を糊塗するにほかならない。
追記:
基本的には論点は変わることはないのだが、その後ネットで以下サイトを見つけ、俺が見落としている点をいろいろ書いてあるのでリンクする。
●参照リンク●●
[日本情報分析局]から『「はだしのゲン」問題は表現規制や思想規制ではなく《ゾーンニング》の問題』