もっともポピュラーな映画作品はヘミング・ウェー原作『誰がために鐘は鳴る』(1943年、サム・ウッド監督)があるが、原作者自身が監督した『希望 テルエルの山々』(1939年、アンドレ・マルロー監督)なんてのもあるし、反ファシスト側にも批判をくわえた『大地と自由』(1995年、ケン・ローチ監督)も良かったし、『蝶の舌』(1999年、ホセ・ルイス・クエルダ監督)も名作となり得た。
『日曜日には鼠を殺せ』(1964年、フレッド・ジンネマン監督)も白黒映画の持ち味を生かして、ドキュメンタリー映画のように淡々と運びつつ、息をもつかせない緊迫感の連続で2時間見せつけた。
内戦はファシスト・フランコ軍の勝利に終わった。
しかし、人民戦線側で戦ったマヌエル・アルティゲス(グレゴリー・ペック)は、戦争が終わったいまでも、パコという少年の憧れの的で、マヌエルを「強盗のテロリスト」として20年間、その首を狙いつづけてきた警察署長ヴィニョラス(アンソニー・クイン)から守るため、子どもながら奔走する。
パコには、マヌエル同様、ヴィニョラスを共通の敵とするわけがあった。彼の父が戦時中、ヴィニョラスによって殺されたからだ。そのためマヌエルを助けると同時に、仇を取ってくれと頼むくらいだった。
潜伏中のマヌエルに、ただ一人の身内である母の危篤が伝えられる。その母にフランシスコ神父(オマー・シャリフ)が接触し、「警察が手ぐすねひいて待ってる、会いにこさせないで」と懇願されたあと息を引き取る。
この母の死を隠し、ヴィニョラスは罠を張る。その卑劣な所業に怒りをおぼえ、フランシスコは法の道より人の道を取り、パコを通じてマヌエルに危険を知らせる。が、しかし……
みすみす罠と知りつつ、対決におもむくマヌエルの凛々しさが胸を打つ。愚かといえば愚かだろうが、父を亡くした少年の無念を晴らしてやりたいという理由では不足だろうか。また、戦争には負けても信念はくじけないという男の意地がある。
カリスマとはそういうものだ。伝説はそうして受け継がれる。そして人に勇気を、めげずに戦い続ける不屈の意志をつないでいくのである。
日曜洋画劇場放映は1971年1月24日。
明日は『灰とダイヤモンド』だ。
次回作紹介の際の画像は、すべて手持ちのDVDのパッケージからだが、今回、異質な感じがするのは3作品セットのBOX版がもとだからだ。
ところで、こんなことに紙数を費やしたくないが、前回紹介作と今回紹介作ソフトはいただけない。
まず、ワーナー・ホーム・ビデオ発売の『マイケル・コリンズ』は最悪だった。両面1層ディスクということで裏表仕様なのだ。しかも、切れ目がいきあたりばったりで裏面に返さねばならないので、感興を削がれることこのうえもない。また、これは俺のパナソニック機器との相性かも知れないが、トップのチャプターが「1」ではなく「7」なので、始めてから7回スキップしないと最初が出てこない。なんでこんなバカな作りにしたのか気が知れない。
つぎに今回紹介『日曜日には鼠を殺せ』だが……
本作スクリーンサイズはヨーロピアン・ビスタというなじみにうすいバージョンで、アメリカン・ビスタの1:1・85にくらべ、長四角度がゆるい1:1・66だから、スタンダード・サイズ(テレビサイズ)にすると黒味の率がすくない。
それで、どうせテレビサイズに近いならと、無理に黒味を端折り、横に延びた分を切るという乱暴なカットをしている。これをすることでどうなるかというと、たとえば両サイドに人が映ってた場合、それぞれの顔が切れてしまうことになる。
ワイドテレビ過渡期の画面サイズ設定には、こういう「大ざっぱ」がありがちだった。画面にこだわる人は、ありかじめメーカーなどにじっくり確認して、買ったあとで後悔しないようにね。