このところ、1時間ちょっとの『眠狂四郎』シリーズとか『座頭市』シリーズとかばかり見てきた目と根気には、よくぞ3時間50分の本作を一気に見とおしたものと、有森裕子モードで自分を誉めている(笑)。
マフィア物、暗黒街物の傑作! ただ、本作と比べると、『ゴッドファーザー』がいかにお上品か分かるよね(笑)。
というのも、これにも少年時代篇があるんだけど、ガキの時分から悪さだけでなくエッチにも長けていて、男の子がやりまくるのはあたりまえとしても、ロリ体型の女の子まで尻を見せたり、よがり声出してやりまくったり、まあ、ロリ好き俺も絶句しました(笑)。
そういえば、この映画の主役もロバート・デ・ニーロなんだが、今日まで映画やビデオを見てくると、役柄云々よりロバート・デ・ニーロそれ自体映画であって、もう、彼が出ているだけで話なんかどうでもいいという雰囲気になるから映画の見方としては邪道だ。
とはいえ、映画はスターが演じるものだから、邪道であれ正道であれ、スターの魅力もふくめての作品だからそれも宿命だ。といって決してスターの力にもたれてはいない。
時は禁酒法制定の1930年代から、禁酒法が破棄される70年代目前といった時代背景。その美術、時代の再現が半端じゃない。古色蒼然たる雰囲気づくりにえらい金をかけてるだろう。
その街並み再現、時代の雰囲気再現の見事さに、『エレファントマン』での美術の戦慄的なリアル感を彷彿、思わず「映画が白黒なら良かったのになあー」と嘆息洩らしたが、そんな不満も本来のカラーが再現されない家庭用ビデオの限界、映画製作者としてはもったいなくて白黒なんてできないだろう(笑)。
それはともかく、のっけから凄い暴力シーンで、裏切りが裏切りを呼ぶ、一筋縄でいかない組織抗争の凄惨さを描出して、見はじめたら最後、とちゅうで中断するなんてことはできない。それがための一気見だ。
マカロニウエスタン、というより、黒澤の『用心棒』を無断でパクった『荒野の用心棒』のセルジオ・レオーネ監督作、ユダヤ系移民の子として生まれた主人公ヌードルスが、マックス(ジェームズ・ウッズが病的な役どころを好演!)との友情をとおして暗黒街でのしていくが、やがては反目し合い、自滅への道をたどる。デ・ニーロもウッズももちろん大人の役だが、子供時代の配役を、雰囲気のよく似た子役を使ったものだと、それにも感心した。
それが大人になってからは、現在と過去が交差する構成は最初分かりにくかったが、今回見た時はすんなり頭にはいった。それだけ映画も見慣れ、年を取ったということだろうか。
それにしては、セックス描写が過激だ。しかし、えげつないというより、男の本能剥きだしといった描写で、だから女性差別うんぬんはあたらず、むしろ男の哀れをさそうくらいのものだ。その点、女はたくましい。最後には勝っている。男はいつも弱い生き物なのだ。
初回劇場公開版144分というが、前回ビデオで見た版はどれなのだろう。とにかく、初めて見た感が強いのだ。
時系列でいえば、[アメリカ公開時には批評家たちから酷評された。不評の原因は一般観衆に受け入れられやすくするために製作会社が物語の時系列を整理し映画の上映時間を大幅に短縮、更にモリコーネの楽曲までカットしたため](ウィキペディア)というんだから、アメリカの映画会社も日本とおなじような愚策を演ずるものだ。
日本の映画はとっくに死んでるが、日本はそのうえにテレビドラマでバカ助長中である。時系列どおりなのはいうにおよばず、登場人物の名前をわざわざ字幕で入れたり、説明調のセリフ、音だけ聴いてれば盲人だってすべて分かるバカ構成。
まあ、そんなこんなの積み重ねで福島原発が爆発したとみてまちがいない(笑)。