きのうは、漫画家やく・みつるの旧悪(原発宣伝罪)について書いた。
このごろ、なにが悔しいといって、日ごろ「原発は安全」「みんなで原発」といってたくせに、いざ福島原発が爆発した3・11以降、これまでいってきたことに頬被りし、にわか「脱原発」、にわか「反原発」派に変節、転向、しかも過去の反省がないから知らない人がたからは「もともと脱原発」、「もともと反原発」と思われ、「へえー、さすがは○○さんだ」と褒めそやされ、いい気になっている鉄面皮どもだ。
その筆頭が武田邦彦なのだ。
たとえば、こういうことがある。
当ブログで原発関連オススメリンクにしている[御用学者・文化人等 wiki]、ここのリンクの「反原発学者名簿」が以下のようなことになっている。
小出裕章
武田邦彦
後藤政志
田中三彦……
いついっても修正される気配はなく、なんの冗談かと疑ってしまう。
武田は「安全な原発なら推進」といってる。つまりは原子力賛成派だ。
かたや小出さん、後藤さんは「安全な原子力などない」と断言してる。これと武田がどうしていっしょになれるか教えて欲しい。
いままで奇人、変人、キチガイあつかいされてまで、身体を張って命懸けで脱原発、反原発を闘ってきたホンモノの運動家、学者、芸能人、個人にいたるまで、なんのために頑張ってきたか分からない、脱力ものの冒涜だぞ。
と思っていたら……
●●改心?リンク●[takedanet.com]から
『さらば!』
てんだが(苦笑)。ほんとに改心したのね??
途註(笑)2012.3.11に記す。
後日書いた「武田邦彦論」(笑)を付記する。
[……原発は、
1.ペイしてない
2.安全でない
3.必要がない
4.破たんしている
5.将来がない
6.温暖化する
これにもっとも大事なことを付け加えれば、
7.つくられた電力の3分の2を海水に棄てることにともなう環境破壊、生態系破壊
8.末端作業員の被曝のうえに成り立つ差別構造
9.10万年の沈静期間を必要とする使用済み核燃料の、増えこそすれ決して減ることのない現実
武田先生は、このことについてはまったく反省も謝罪もしてないのである。あたりまえだ。そんなことはとっくに知ってて、それを問題としないで原発を推進してきたわけだから。環境破壊も、作業員の命も、将来の次世代に対する配慮も無視して原発推進の音頭取りしてきたわけだから。
いまさら「子供がー」、「孫がー」、「つぎの世代がー」などと、どのツラ下げていえるのか。また、そんな恥知らずの武田邦彦を、ネットのじつにおおくのブロガーが評価している現実に愕然とする。
●元リンク●●当ブログ
『敵の敵は味方ではない、武田邦彦の本質は原発推進だ』]
それにしても、タレント、芸能人の、しかも人気があればあるほど影響力は大きく、したがって大物原発吹聴電波芸人の罪はかぎりなく大きいのに、過去の罪なんかなかったかのようにいまもって大きな顔をしてテレビに出ているのはどうしたことか。
ぜったいに許してはならない。
かつては、NHKは、大河や朝ドラの出演者となれば、民放のCMにでている役者の無節操電波芸人などは排除要員だった。紅白にもぜったいでることなどできなかったのだ。それを俺は悪いことだとは思わなかった。
だってそうだろう。明治だ、森永のお菓子である、ジャンクフードを宣伝する奴など毒をまき散らす悪でしかない。いまの時代、若い夫婦に生まれる原因不明の奇形児が、ジャンクフードに起因してないと誰がいえる?
こういうことを指摘すると、「そんなに目くじら立てなくとも」「食べる量の問題だろう」と言いかえす奴には、「福島では放射能のせいで、たったひとりの赤ちゃんの病人も出ていない。誰一人として死んでない。どうしてそんなに馬鹿げた騒ぎ方するの」という奴は笑えないぞ。節操宣伝電波芸の最たるものが原発推進CMだったわけだ。そして、ジャンクフードであれ、原発放射能であれ、真っ先に被害をこうむるのは子どもだ。その子どもの敵である電波芸人の罪を問わないとは何ごとだ。
怒ることを知らない無感動人間、否、すでに思想も信念も感情も死んでるのがいまの日本人ということかも知れない。
(画像は、レニ・リーフェンシュタール監督、ナチの宣伝映画『意志の勝利』から)