きょうが命日だということを、某サイトにより知り、急遽! 日付が変わらないうちに!
[毎日新聞 2011年10月4日 0時00分 「発信箱」より
タイトル:『今変わらねば』=永山悦子(科学環境部)
本文:
「山には、きびしさをもって我々に対するものと、暖かく我々を包容してくれるものと、二種類ある」
深田久弥の「日本百名山」で、こう始まる「赤城山」(群馬県)の項。「赤城山はその後者のよい代表である」と続く。この赤城山に包まれるように、反原発運動の理論的主柱と呼ばれた高木仁三郎さんが眠っている。11年前の10月8日、62歳で亡くなり、赤城山に散骨された。
高木さんは高校時代まで赤城山の裾野、前橋市で過ごした。冬は強い季節風「赤城おろし」が吹き荒れる。著書で、「この自然の峻烈(しゅんれつ)さに、何がしかの影響を受けた」とつづる。まさに北風に立ち向かうかのように、脱原発を目指すNPO「原子力資料情報室」に設立からかかわり、原発の危うさを訴え、社会へ警告し続けた。
赤城山への散骨は、高木さんの遺言だった。人間が自然を克服し、生活から切り離そうとする社会に疑問を持っていた。だから「自然へ帰りたい」と願い、古里・赤城山へ帰った。最期に、「自分はいなくなるが、核や原発を利用しない社会を作ってほしい」と言い残して。
ところが、原子力政策も社会も変わらぬまま、福島の事故が起きた。高木さんの命日を前に、ゆかりの人はどう感じているのか。妻の久仁子さん(66)は「彼が生きていたら、今変わらねば大変なことになる、と訴えるだろう。元のもくあみになることが一番怖い。人間にとって何が大事なのか。一人一人が考え、行動してほしい」と話す。前橋市に住む長姉の佐藤香(かおる)さん(86)は、こうつぶやいた。「仁ちゃんは、かわいそうなことをしました。もっと早く国が言うことを聞いてくれればよかったのに」
2人の訴えは同じだ。こんな後悔を繰り返してはならない、と。]
高木さん。
石にかじりついても、地べたを這いまわってでも、ご遺志はつぎます。
香山リカ、江川詔子はじめ、「原発、段階的停止」などと妄動するエセ反原発、擁原発推進プロパガンダ勢力を血まつりにあげてでも!
●●参照リンク●
[原発業界御用学者リスト@ウィキ]から『高木仁三郎』