1960・6・15(樺さんの命日)から、福島原発事故へと連綿と受け継がれるアメリカの呪縛。
平成の樺美智子は誰か。
ただ、俺はこの詩が好きではないのだ。
『最期に』
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最期に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最期に
人知れずほほえみたいものだ
(1956年 樺美智子 作)
痛ましい!
しかし、その痛ましさの裏にあるのは、どうしようもないニヒリズムだ。その独善と孤絶のゆえに、左翼は力を伸ばせず、ひいてはこの原発災害をも招いた。
もう過ちも甘えも、カッコつけに過ぎない孤高主義も許されない。
「人々のために。」
そして戦って死んだゲバラのことばである。