「再掲」といっても、新規はラストの数行のみ。
以下、同文。
最近なぜか『ゲゲゲの女房』が見たくなり、ライブラリーから引っ張り出して見てしまった。「しまった」という部分に「後悔」が含まれている。
なぜなら、見出したらキリがないからだ(笑)。
〈こんなどん底貧乏話、いまの日本でなぜ人気を誇ったのか!?〉
も不思議だが、登場人物に感情移入するあまり、
〈早く売れっ子になってくれ!〉
〈早く人気が出てどん底から這い出してくれ!〉
と念じて先が見たくなる一方で、結果「夜更かし」「深酒」が高じたからだ(爆)!
放送は2010年だから、もう、5年も経ってるんだなあー(感慨)。
映画も見たが、そっちは記憶も追憶も皆無に等しい。『ゲゲ』といえば俺のなかでは松下奈緒、向井理で確立している。
日記もひもといて見た。
校正を仕事とする友人が『ゲゲゲの女房』のノベライズ(ドラマの小説化、原作武良布枝・山本むつみ脚本)も手がけたので放送中から結末を知ってもいた。
傑作である。いま見ても色あせないどころか、年月を経てますます燦然とかがやく永遠の名作ドラマといって間違いない。
じつは最近、友人関係を面倒くさく思ってた。養護学校時代からの友だちに、外界と遮断して生きてるような(と思ってるのは俺だけで、俺だけに対してかも知れない)男がいて、〈俺もそんな風に生きるか〉と思った矢先——つまり『ゲゲゲの女房』熱復活を機に検索したところ、奴との記述がずいぶん出てきて懐かしさも復活(笑)、やっぱり考えなおすことにした。
「遮断したい」と思ったきっかけは、ある友人から「君に何かあったら飛んでいってやるからな」といわれたことで、その脈絡上にアマゾンでの買い物(料金の立て替え)を頼まれていたからだ。それさえなければ素直に喜んだのかも知れないが、「引き替え条件」みたいに受け取った気持ちに「カチン」ときたからだ。こっちが障害の身にあるだけに友人氏には余計腹が立った。
おなじことを大昔にオフクロからいわれたことがある。
「ああ、実際そうなった時には感謝するよ」
そういって聞き流したものだ。
実際飛んでいったのは俺で、飛んでいったそのわけは当のオフクロが脳梗塞で倒れたからで、倒れたオフクロは意識のないままあの世に旅立った。
画像はドラマ『ゲゲゲの女房』の最終回から。
ここで、ラストの決めゼリフ——ナレーションで何度かくり返された、野際陽子流にいえば……
ところが……(笑)
DVD−Rは全部見ている途中でおかしくなった(泣)! 結局、汚れだけだったようで、ディスククリーナーで拭き取ってことなきを得たが、実は、ライブラリーは全部ではない。「プロダクション設立」までの一部で、曙光を見たところで俺としては「完結」としてしまったからだ。ではなかった(後日訂正)、その2つあと、「鬼太郎ブームがはじまった」として、水木しげるの隠れもしない名作『墓場の鬼太郎』がアニメで動き出すまでという大エポックメイクな瞬間までだ。
いやー、あらためて傑作だよ、というより、不沈、浮上、遊弋、豪放、飛翔、人生を前向きに生きるための気付け薬、強壮剤のようなドラマといって過言はない、と断言する。保証します。それが分からない人は何を見てもダメ! 人間やめたほうが良いくらいだ。