1500円の中古が出てたので(笑)、勇躍飛びついて買いました!
明日か、おそくとも明後日、待望の『ゴジラ2014』がU.S.アマゾンから届くだろう。その前夜祭というか、遠足や運動会の前日、よくやってた景気づけの「お天気祭」のつもりで、この記事を立ち上げた。
このところのネットの『ゴジラ』関連動画の賑やかさは群を抜いている。ひと頃から見れば落ちてるのかも知れないが、たまたま見た俺の目からは元気に見える。それだけでも満足いきそうだ。
というのも、『ゴジラ2014』の迫力は、映画館のスクリーンで見るのが一番で、つぎには一定程度の大きさを持つパソコンモニターと対面して見るのが一番だからだ。最も理想は「視界いっぱい」環境だ。
反対に、テレビモニターでは間が開きすぎて、映画の世界に漬かりきれない。所帯じみた要素がすこしでもあったら、即興醒め『ゴジラ』となって、破壊感も巨大感もめっきり薄れてもったいない限りだ。
俺は映画館には二度通ったが、「映画なんか久しぶり」感の弱味によるところ大なるも、それを割り引いても『ゴジラ2014』における怪獣映画度は超高沸点に満ちてた。
終始スクリーンを下から見上げる、つまり観客に見上げる姿勢に追い込む絵づくりが巧みだった証左となろう。それは、下にリンクする動画を見れば一目瞭然だ。ムートーの怖さが半端じゃない。
アマゾンレビューで見る日本のユーザーからは悪評頻々だが、その根本原因は第一作へのこだわりだろう。
1954年、本多猪四郎監督『ゴジラ』は、ゴジラの脅威に戦争と原爆の影を絡めて社会派要素を盛り込んだが、あれから何年経ったと思ってるのか。
かといって核を安易に用いてはいけないが、ゴジラに社会性を持たすべきとも思わない。怪獣映画、非日常体感ゾーンの極致にストーリー性など邪魔なだけだ。
否、今回ギャレス・エドワーズ版『ゴジラ』は、原発と絡めて十分社会性を持たせていたといえるし、顰蹙を買った津波映像も、自然の脅威への警鐘と思えば批判に当たらない。
やたら「当たらずさわらず」では、あの70年代日本での異界、「大差別語狩り」の愚と何ら変わりない。そんなことをまだやるつもりか。
とまあ、とかく批判の『ゴジラ』を擁護したものの、2回も鑑賞しながら、評論家よろしく何から何まで憶えていてからの詰めではなく、あくまで個人の直感的援護射撃でしかないのが弱いとこだが……
●ここまで出すかリンク(笑)●●ユーチューブより
『Godzilla (2014) - All Sightings』