戦争映画中毒なんか、昔買った『プライベート・ライアン』でも見てればガマンできただろうに、そん時はどうにも辛抱たまらず(笑)、きのう届いた早々に見た『バルジ大作戦』(ケン・アナキン監督)。
こんなの見るかねえ、この年で(笑)。
そのまえは映画通ぶって『第三の男』(キャロル・リード監督)なんか見てた。
アカデミー賞で白黒撮影賞とったのって、これじゃなかった?(註) 「光と影の藝術」だの、「映画史の革命」といわれたかどうかは知らないが、たしか本国イギリスでは国宝級に尊ばれてる作品のはずだ。
ただ、「かちっ」と四角にハマる映像好きの俺には、画面から傾いた映像で不安感をあおる本作の効果には度肝を抜かれた。たとえば建物の各部が画面から何度か斜めになってる、こんな映画ははじめて見た。
映画評論の本でもかならずといっていいほど世界映画の筆頭に挙げられ、題名から受けるインパクトも手伝っていまに至るも「映画の手本」とまでもてはやされてる。
さらに「連続ドラマにもなってた」という俺の記憶も、まちがいでなかった。
放映(30分番組)は1957年から62年までで、「日本でも一部が1961年9月から1962年7月にかけて、NET(現:テレビ朝日)系列で放送された。」(ウィキペディア)というんだが、昭和36年9月というと俺は何をしてた時期かなあ。
ああ、そうか。ちょうど10歳の時だから、はまぐみ学園にいて手術を受けたりしたんだ。ウンコ垂れの、灰色の少年時代だ。
しかし映画は俺が生まれる2年もまえに撮られた名作で、これを目にするのはテレビの洋画劇場でだった。それにより椿事が出来することになるのだ。
NHKが放映してれば良かった。
これが日テレみたいな民放が放映するからややこしくなる。いや、時にバカな製作者がいるからおかしなことになる。
『第三の男』の吹き替え改竄事件は、日テレかどうかは知らないが、とにかくバカな製作者が起こした、その当時としては有名なテレビスキャンダルのひとつだった。
物語はジョセフ・コットン扮するハリー・ライム(下画像左)という三文文士が、オーソン・ウェルズ扮する親友(下画像右)に呼ばれて戦後間もないウィーンに降り立つが、その時、親友は交通事故に遭って死んでおり、途方に暮れるハリーの周囲で奇怪な事件が相次ぐ。親友は堅気なんかじゃなくヤクザで、そのうえ麻薬でしこたま儲けてるという極悪人とわかり、やがて対決するハメに——と、まあ、簡単にいえばそんなだが。
これが日産だかスバルだか知らないが車のスポンサーだったため、スポンサーに気兼ねする民放の宿命、というより悪弊がよけいな気を遣わせ、《自動車の事故》ではなく、高いところから《落下した事故》にしてしまったのである。
今回、それを意識して見てたが、なるほど気にしないで見れば見過ごせることかも知れないが、「車の事故」か「ただの事故」かはミステリー仕立てと考えなくとも簡単に片づけられる代物ではない。現に人が一人死んでいるのである。しかも、凶悪犯罪にからんだ重要容疑者だ。
これだから民放の番組などは見る気が起きないのである。
ほんとは、この映画に関しては、もっともっと書きたいことがあるんだが……
映画を好きとか興味だけでなく、むしろ俺は「評論」を優先させ、いびつな「したり顔」で見ていた(イヤな)時代だった(笑)。それでも正直なところ、オーソン・ウェルズは『市民ケーン』が代表作といわれてたが、有名な「薔薇の名前」をキーワードにした名画も難解じゃね。
純粋に娯楽を愛するいまなら、高尚な藝術なんぞより面白さの『第三の男』だ!
(註:
違いました。「アカデミー白黒撮影賞」をとったのは『大列車作戦』と、2011年10月26日の記事に書いてありました)