「寅さん」映画の第7作目は、「7」ということで黒澤明を敬愛する山田洋次らしく(?)、『七人の侍』を意識して特別の思い入れがあるのではないか、それはマドンナの起用にもあらわれる、というのが何の根拠もない俺の説だが(笑)……9/200!
榊原るみが演ずる太田花子は、その野暮ったい役名とは裏腹に(苗字と名前に該当する方にはスマン!)(汗)、可愛くて純真無垢で、それもそのはず知的障害もあって誰に対してもにこにこと悪意がない、というのは山田洋次が勝手につくったセオリーで、障害者はそんなに美しくも可愛くもない!(笑)
現実はともかく(笑)、本作の花子はあぶなっかしく、頼りなく、寅さんでなくとも黙って見過ごしにできない存在、それが寅さんのような者に出逢った以上は、何くれとなく面倒みられる関係で、旅先で寅さんと出逢った花子は、東京に行くことがあったら柴又、帝釈天の団子屋「とらや」を訪ねろ、そこでは親切な年寄り夫婦が面倒みてくれるはずと教えられ、花子はそのとおり「とらや」を訪ねる。そこへひょっこり寅が帰ってきて、という展開。
おいちゃんの森川信さん、いいですね!
そして今回はマドンナが知的障害という異色性もさることながら、それを称して「頭の足りない同士だから相性はある」逆に「頭の足りない同士では上手くいかない」と、かなりきわどいセリフで両者の恋の行方を論じる周囲の情況が過激にすぎる(笑)。
1971年作品ということで、部落解放同盟系の「差別語狩り」が激しくなるには間があるということで問題にならなかったんだろうが、ミヤコ蝶々演ずる寅の実母、キクのセリフの「手足が二、三本のぉても、頭が足らんでも文句いえる筋合いと違う」「それを婿にというからには相方は脳が足らんのと違うか」は相当過激だ(笑)。ためにアマゾンレビューでの「寅さん評」には批判も多い。
しかし、だからこそ反対に俺なんかは好きな作品だ。それは俺がマゾヒストだということではなく(否、マゾはマゾだが)(笑)、山田洋次の辛辣さがより良く出ていた。一般に山田洋次は共産党といわれるが、差別語に対し共産党は「規制反対」を主張、反共産の新左翼は「差別語一掃派」だったから、なるほど山田らしいということになる。
ちなみに俺は共産党ということではなく、歴史の中の一面を描くという意味においてのメクラ、カタワは言葉として生きていたわけだから、当時のセリフや社会通念、情況として使う差別語は当然、それすら規制する解放同盟系運動はおかしいと論じてきた。『座頭市』で「メクラ」が使われなくなることなどあり得ないのだ。
と、また脱線したが、そういう山田洋次が監督する「寅さん」には、そういう毒の要素が十分感じられ、感じられる毒があるからこそ、対極の優しさもリアルに感じられ、それこそが「寅さん」の真髄といえるのではないだろうか。
画像説明:パッケージ写真(俺が買った通常版?DVDもコレ)、HDリマスター版を買わなかったのは、そっちのパッケージではマドンナ榊原るみの顔は出てないからだ。