毎年十一月になると「三島事件」を思い出す。
一九七〇年十一月二十五日、作家三島由紀夫が憲法改正と自衛隊のクーデターを呼びかけ、自身が所属する楯の会同志、森田必勝二十五歳と共に割腹自殺を遂げた事件である。ちなみに三島はこの時四十五歳。
二十五日は一般の会社は給料日である。
港区赤坂のアパートで住み込みのガリ版筆耕業に就いていた俺も給料日で、女社長のダンナがせっせと社員の給料を配っていた。このところ社長夫婦との諍いでうまくいってない仲だったが、その社長が妙に愛想良く話しかけてきたのが意外だった。そして、
「三島由紀夫が切腹したんだよねえ」
と、そんなことをいったのである。
三島由起夫って、作家の三島か? それが切腹って、どういうことよ、と、社長の亭主は揶揄めいて面白半分話しかけたんだろうが、俺はただただおどろくばかりだった。「三島事件」にはそんな記憶がまつわりつく。
しかし三島は一人で切腹したのではなかった。森田必勝(まさかつ)という二十五歳の若者を「巻き添え」にして自決したのだ。その事実をどう考えるべきか、と、これまではひたすらそう思い込んできた。
しかし事実は全然違っていたようだ。「軸を別にしてみれば地平も異なる」とか「コペルニクス的転換」とか、頭のいい評者はうまいことを書く。俺のようななまけ者の勉強不足にはとうてい足元にもおよばない。
ただ、森田必勝という青年の「純粋すぎる熱情」は理解できる。「死への憧れ」といっていいかどうか、でなければ「命に代えて護るべき」何かは漠然と分かる。思想的に異なっても「何か」に対する思いはいっしょだ。
それにしても三島は、森田は「何」に対して命を賭したのだろう。
爆音と怒号で掻き消された三島の「呼びかけ」の絶叫も遺された草稿から再現されるが、「繁栄」や「享楽」にうつつを抜かした現世の日本の若者大衆に向けた怒り、希望、思いのたけが汲み取れたとてどうなるのか。
犬死にとはいわない。「事件」を、彼らの訴えを五人や十人といわず百人、千人の国民大衆が耳を傾け、耳目を集中して何かに思い至ったとして、いまの日本のこの堕落、退廃、絶望と悲惨は何としたことだろう。
三島事件から今年で四十三年。それ以前、「昭和元禄」といわれた《終末の助走》からはどれだけ経ったというのだろうか。