本作の監督ニール・ジョーダンは、やはりアイルランドの人だったんだ。だから、祖国へのこだわりが『マイケル・コリンズ』(1996年)に色濃く出ているわけだ。
タイトルにもなっている実在の人物の実像は知らない。専門に書いたものも見たことがない。だから、実物に照らして映画を評価するわけにもいかない。第一、局外者である日本人がどうこういえる資格もない。
本作を見るのも二度目だ。
一度目はレンタルビデオ(まだ、ビデオの時代)だった。
それがDVDになって、画質も音声も格段に良くなったなかでの視聴である。
面白かった。それが正直な第一声である。
植民国イギリスからの、祖国アイルランドの独立。なまなかなことでは実現できないと割り切り(その辺の葛藤はばっさり斬りすてて)、いきなりテロ対テロの血なまぐさい場面が展開する。
この辺は、部外者の立場で見れば、アクション性重視の娯楽要素満載で、それだから面白い、いや、政治がテーマの映画なのに、こんなに面白くて良いのかと、見ている立場から後ろ髪引かれる。
といって、殺らなければ殺られる情況下で、それはそれで真実なのだろう。ただ、史実としてこれほど波瀾万丈、めくるめく展開だったかということだ。
映画だから見てられた。
これが現実だったら受け入れられるだろうか。「自由のために」という大義名分に、果たしてこのような冷徹な抵抗闘争を、「祖国をイギリスに売り渡した売国奴」に対する「天誅」行動をつづけられるだろうか。
厳しい。そして過酷だ。
紙一重の差で官憲の銃火をまぬがれ、つぎの戦場へと渡り歩く主人公マイケル(リーアム・ニーソン)の連日連夜、時々刻々。そのなかで同志であり、恋人でもある女性(ジュリア・ロバーツ)との一時は唯一のやすらぎだが、親友も含めた三角関係とあっては見ているほうが内心おだやかではない。これが政治対立にまで発展するのではと、気が気じゃない。
案の定というか、それとは別にというか、面白すぎるテロ対テロの応酬は、武力では収拾をつけたものの、代わって政治の季節の葛藤となってみにくい権力争いの様相を呈しはじめる。
マイケルの命運に陰が差すとき、独立間もないアイルランド共和国にも新たな歴史の足音がひびくのであった。
最後に、おなじニール・ジョーダン監督作なら『クライング・ゲーム』が超オススメである。
やはりアイルランド紛争を下敷きにしてるが、ユニークな発想による恋愛ゲームを、スタイリッシュな映像と洒脱なストーリー展開で、ぐいぐい見せつける。全編を通して透けて見えるのは人間讃歌だ。「ニール・ジョーダンへの全幅の信頼!」そう思わせるに十二分な作品だった。
明日は『日曜日には鼠を殺せ』だ。
これこそほとんど憶えてないが、キネ旬データベースで見て、まずアメリカ映画だったことにおどろいた。監督フレッド・ジンネマンということからすればそのとおりなのだが、スペイン内乱にからむゲリラのリーダーの逃避劇ということから、東欧の映画かと思った。それこそ、おとといの『シシリーの黒い霧』のフランチェスコ・ロージが監督してもおかしくない題材だ。
それをグレゴリー・ペックが演じるというところが、いかにも「アメリカの良心」を感じさせる。といわせるほどにグレゴリー・ペックという役者はいい味をだしている。
共演アンソニー・クインというのも国際色を添えている。