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小説『砂の器』を、ほぼ一気完読した。
けっきょく、自分の小説書きを中断して読み終えた、というくらいすぐに読んでしまいたい欲求に勝てなかった。 これはひょっとして、数ある松本清張傑作群のなかでも、屈指の傑作ではないか。……そう書いてアップしようと思ったが、ネットのレビューはすこぶる悪いのだ(笑)。なかには駄作、陳腐と斬って棄てる人もいた。 しかし、それでも、と思う。 多少の欠点は、この際気にならないほど他の部分が秀でてるのか、俺の贔屓目か、はたまたヘソが曲がってるのか(笑)。 俺が本作を評価する第一番は、今西、吉村と、その周囲の日常描写、生活感が生き生きと描かれ、いっしょに作品世界を生きてるような臨場感に一本つらぬかれているからである。ホームドラマであって刑事ドラマ、また一片の傑出した随筆だったりもする。今西、吉村と捜査を共にし、時には共に痛飲。くすくすしたり、精一杯笑い合ったり、本を開けば、そこに会いたい人たちが生きているのである。 アマゾンで小説をけなすレビュアーは野村芳太郎監督の映画『砂の器』(1974年)を絶賛する人だったりする。だったら俺は、映画に疑問を持つあまり、その反動で小説をよけい支持してしまうのかも知れない。 すると冷静な目で見なおさねばならない。 たしかにこの『砂の器』、いくつか気になる点はあった。 森村誠一先生もびっくりの偶然性があったりもする(笑)。そんな近所でいい案配に関係者が死んでくれるかよ、とか、そんなに都合良く邪魔者が死ぬもんか、とか。犯罪かと思ったら事故だったという肩すかしもある。しかし、それは重箱の隅程度のものだ。 それより困ったのは(笑)今西の“変身”である(汗)。 解説者も書いてたが、「ナゾをとくまでの今西刑事には、日常的な肉体があったが、さいごは、肉体のないナゾとき天才になった」と、さすがはプロはうまいことをいう。そしてその“ナゾとき天才”を、捜査会議形式にして強引にやっつけてしまったのだ。 すでにそのすこしまえから今西のキャラが明晰に際立ちすぎて(笑)、丹波哲郎こそ出てこなかったものの、『張込み』の宮口精二になったり『飢餓海峡』の伴淳三郎になったり(笑)、そしてラスト近くの捜査会議の場面では、イヤでも映画『砂の器』をこれでもかというほど思い出させられた。 和賀英良は憎むべき犯罪者か、それとも差別の犠牲者か。 今西が「犯行動機」を解説するに先だち、犯人和賀英良に対して「同情を禁ずることができません」といったのには唖然とした。俺には和賀英良を許すことなど断じてできなかったからだ。この和賀への温情が、作品の方向性をブレさせてしまったのではないか。 らい(ハンセン病)の父親と流浪の旅をする子供時代、父親を病院に入れることで残る子供秀夫を、自分たち夫婦で手厚く保護しようとした三木謙一、ふつうに見れば、そんな大恩人を殺すなど鬼畜以外の何物でもないはずだが、俺の見方はちょっとちがった。 果たしてそうだろうかと思ってしまう。 「良かれ」と思ってしたことが、必ずしも貧しい本人、傷ついた本人、親と離ればなれになった本人にとって、素直な愛情とばかり受け取れぬことがある。親切と見せてかえって傷口を広げたり、残酷にえぐったり、それゆえ恩人宅からの少年の脱走をかならずしも否定的に見ることはできない。 しかし、問題はその後の経緯なのだ。 戸籍を書き換え、経歴を詐称し、自分をいつわってまで栄光の階段をのぼろうとする出世欲、権力欲が、すでに16歳の時に処世として身についた不気味さに愕然とする。 らいの父親との絆を忌むべきもの、汚いもの、恥じる過去として抹殺しようとする、その酷薄も俺は黙って見過ごせない。 さて、ネットを散策していてこんな意見も見つけた。前述した映画のほか、ドラマ化作品についても言及しているのでリンクする。 ●参考リンク●●[DINF 障害保健研究情報システム]から『荒井裕樹 文学にみる障害者像 松本清張著「砂の器」とハンセン病(「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年9月号)』 障害者の人権をかんがえるなら、らい差別に対しても厳しくあるべきだが、「業病」「不治の病」などの表現は今西のことばであり、心象であり、作者による作品言葉ではなかったのではないか。俺も障害者だから注意して読んだが、カチンとこなかったのは単に当事者でなかったからだろうか。 それにしては、批判者が本浦千代吉、本浦秀夫(和賀英良)、三木謙一まで実名で出していながら、主人公今西栄太郎の実名が出てこないのはなぜだろう。映画紹介部分ではちゃんと出してるクセに、原作を引用するかんじんの時に今西栄太郎を避けてる本論筆者ほど作為に凝り固まっているといえよう。 まあ、終わり近くの端折り過ぎで分かりにくいのも否めないが、すると、このように分かりにくくしたのは、作者松本清張の読者への仕掛けではないのかとも思量する。和賀の犯罪を斟酌するか、酌量するか、反対に許すべきではないと断ずるか、それによった読者それぞれの量刑のちがい、ハンセン病に対する思いの違いを読後感に反映させようとしたのなら、無知、偏見どころか、大胆な作家精神ではないか。 そう判断する根拠はある。 まず、今西が和賀に同情を禁じえないのは、殺人にいたる動機は想像できても、殺人を計画する残忍性は神のみでないから知りうるはずがないからである。 いっぽう読者はどうか。 殺人の瞬間は小説でも描かれないから、犯罪動機は今西とおなじく、ハンセン病差別などをとおして想像するしかない。 しかし、その後の和賀とその周辺は小説に描かれている。出世亡者と、上流階級の令嬢のわがままと、そして和賀本人の姿。その心象は描かれないものの、冒頭の喫茶店での目撃証言以外はじつに繊細な描写だ。そこでの和賀英良は、すでに恩人三木謙一を残虐な方法で殺しながら、また、超音波破壊という忌まわしい方法で、邪魔になった友だちの女を流産させて殺しながら、フィアンセとの結婚を控え、アメリカでの新作発表という第二の栄光のまえに、すこしの“影”すら感じさせない(という風に振る舞っている)鬼畜ぶりだ、俺はその姿に戦慄してしまうのだ。 これには書かれてない逮捕後の真実が秘められている。そして、そこで下される和賀への断罪量刑は、読む人それぞれによってちがうわけである。 こんな作品を傑作といわずして、どんな推理小説を傑作といえるのだろうか。
by web_honta
| 2012-02-03 20:56
| たまには本でも
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