いやあーっ、長かった! 大鐘稔彦著『孤高のメス 外科医当麻鉄彦』、二段組み活字で600ページ余りに及ぶ大部上・下巻、やっと読破しました(嬉)!
画像は幻冬舎版文庫本6巻(表紙のデザインに惹かれて組みました)ですが、俺が読んだのは栄光出版社版。重くて厚くて電車に持ち歩いて読めるもんじゃありません(笑)。
なんでこんなもん読んだかというと、手術場面が秀逸との好評で、SM小説の参考になると思ったからですが、その点では当たりでした。なにせ書いてる方がお医者さんで、したがって専門用語はばんばん出てくるのですが、それを素人にも分かるように書いてて全然飽きさせません。まさにオペ室にいるような感覚で読ませます。
あと、「もうひとつの『白い巨塔』」なんて宣伝文句にも惹かれましたが、このほうは裏切られました。
日本の医学界でいまだタブーとされる脳死肝移植に、真っ向挑む姿勢で書いててそれはそれで良いのですが、脳死問題に対する掘り下げが一方的に過ぎてて浅いうえ、それぞれの人物描写についてけません。
俺はドラマでも映画でも、そこに登場する女性に注目するのですが、これがどうも好きになれない。みんながみんな主人公の当麻鉄彦に向いてて、それ以外の男どもは当麻の情報を得るためのダシか、引き立て役でしかないのです。
明日をも知れぬ命の患者のホスピス病棟に、好きな看護婦目当てに他科からやってきて、患者のカルテを見るふりをしながら彼女の勤務表を見るなんて描写には、「それでも医者か、恥を知れ」とぞっとなりました。
それが実態、人間の生臭さを出したかったのでしょうが、これじゃ手術は作業であって、患者は物でしかない。
ああ、俺なんか障害者施設で育ったせいでしょうが、そこでは先生も寮母も親身に接していても仕事を離れれば家庭人、規則づくめの寮生活を強いられる俺らと違い、帰れば家族もいれば仲間もいる、しょせんそのていどのつきあいでしかないのだと知って、がっかりするのが落ちなんです。
それにしても、書いてる人が医者で、小説の主人公が医者で、それで『孤高のメス』なんて題名、よくつけたもんだと思います。孤高の人なんてのは他人が呼ぶから孤高なんであり、自分を孤高とはいわないでしょう。
漫画の原作です(笑)。
あ、映画にもなってます。で、映画評論家・前田有一さんの紹介によると、映画は[夏川結衣演じる看護婦の視点から、この立派なお医者さんの活躍が描かれ][全体が回想シーンとなった構成]だそうです。それが常識的判断でしょう。
[テーマ最大の争点である、脳死判定の困難さを華麗にスルー。結果として、いいとこ取りのありがちな創作美談にとどまってしまった]と酷評する前述前田さん、その映画についてはこうも書いている。
[私はかつて消費者団体にいたころ、この問題には深くかかわった。その経験を踏まえた上の意見として、脳死臓器移植すべてを廃止せよとまでは言わない。
だが、マイナス点がまるで伝わっていない現状、国民も国会議員も問題点をほとんど理解せぬまま法改正が強行される現状については、著しくアンフェアであり、承服できないものと考えている。脳死の判定はきわめてデリケートかつ困難で、【脳死と診断されながら回復した例がいくつもある事】を、あの時どれほどの議員が知っていただろう。
美談につられた人々に十分な判断材料を与えぬまま、ドナーを増やそうとする一部の推進派のやり方は、将来に大きな禍根を残す誤ったやり方だ。]([前田有一 超映画批評]より)(強調カッコ【 】ホンマ)
小説もしかり。
命がテーマであるのに、ドナーとされた16歳の少年の描写が希薄すぎる。その肝臓が生まれつき病弱で、いまだ人生の喜びのなんたるかも経験したことのない15歳の少女にわたるならまだしも、手術をおこなう病院にとっては有力者、執刀医にとっては婚約者の父である老人の町長、というのではそら感情移入はできません。「勝手にやってくれ」ってなもんです。
あと、誤字、余分文字が多すぎます。
消火器にメスをふるってはいけません(笑)。