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やっぱり政府はキチガイか。というのも、さっきウェブ東京新聞でみた記事『4電力で計画停電検討 夏の需給閣僚会議』ということだが、東電管内はさすがに、去年11月に東電自身「(2012年)夏の供給電力は十分」と試算発表したため、あからさまな不足キャンペーンはできないはずだ。それでも原発から火力への切り替えで大赤字だと泣きをいれて、原発の代わりに値上げを前提にしてやがる。 さっさと取らぬタヌキの皮算用はじき『「13年3月期赤字大幅減」 東電 値上げで立て直し』これもきょうの東京の見出しだ。自分たちが蒔いた種、じゃない放射能汚染でこんなになってるというのに、それを謝る気持ちはさらさらなく、どこまで図々しいのか。 さて、かんじんの4電力の計画停電は、いったように東電管内ではない。北海道、関西、四国、九州の4電力会社で、関西は大飯原発再稼働を狙ってのプロパガンダというのが脱原発を急ぐ人々の主張だが、それはまちがってない。なぜなら、関西電力は電力不足をアピールするとは裏腹な電力使用キャンペーンを張っているからである。 12日『中部など4電力に5%節電案 余剰分を関電に融通』と東京が報じ、つづいて13日『中部電、節電実績に対価支払う 今夏、試験導入を検討』と、関電への融通を依頼された中部電が「ネガワット取引」の制度を今夏に試験導入するなど、供給余力を出すことに努めてるようなのに、それをもらう側の関電の呆れた方針。 上記記事に先立つ11日、『電気使うほど特典!? 関西電力 スイーツ・宿泊券 節電に逆行』報じたのは赤旗だ。 [このサービスは「はぴeポイントクラブ」というもの。「オール電化」導入世帯を中心に、電気使用量10キロワット時ごとに1ポイントがたまるとしています。しかも、電気料金ではなく、使用量に応じてたまるとしており、ホームページには「電気料金の安い時間帯にご利用いただく方が、よりお得に、ポイントをためることができます」とわざわざ書いています。また、クレジット決済の利用やアンケートへの回答などにもポイントが付与されます。ためたポイントは、「芦屋 マダムなプリン」といったスイーツやホテル宿泊券、天体望遠鏡、ギフトカードなどと交換できます。この制度は関電以外の電力会社では実施されていません。(清水渡)] 電気が足りないというのもウソ、燃料費の高騰で電力会社があっぷあっぷというのもオーバー、いままで儲けて溜めに溜めた内部留保が無尽蔵にあり、5年や10年燃料費が何パーセント高騰したからといって傾くような会社ではないだろう。 いいかげんにしろよ! 震災と原発災害でずたずたのうえに増税までされかねない、こんな時こそ内部留保を消費者のために使い、値下げするのが企業の良心というものだ。 それから、俺はきょうはいちばんこれをいいたくて記事を立ち上げたのだ。 福島原発爆発の放射能汚染、食品被曝と、5年、10年後のがん死の因果関係は問われないだろうというのは大ウソだからな。日本人の2011年3月11日以降にかかったがんはすべて福島原発爆発に由来すると断言する。その根拠はこうだ。 まず、早い段階のがんに対しては、「福島原発爆発で日本は汚染された」という認識が日本人全体になされることによるストレス、つぎにはいかなるがんに対しても、福島原発由来の放射能が低線量被曝として底上げされた結果によるからである。それにより、1年後、2年後、あるいは5年、10年後にかかるがんまで、福島原発由来の放射線によって早い段階に発症したとみることがきわめて真っ当で医学的な常識だといえるからである。 福島で18歳以下の子どもの医療費が無料化される運びであるという。当然だ。それと同様、日本人の大人のがんにも、なんらの補償がされて当然なのである。 小出さんがいう「東電が何回つぶれても贖えない被害」とのまさしく所以である。 画像は、いま話題の反脱原発本だという。刀の差し方も知らないアメ公が書いて、アメリカ大好きな大バカ日本人が買って褒めそやすキチガイな傾向。 原発推進テロリストどもの反撃は相変わらず果敢なものだ。 こいつらの論調をすこしでも読めば分かる。 人種が違うのだ。生きている場が違うのだ。また、仲間とする対象が違うのだ。おそらく彼らの心の中に日本も、日本が祖国という認識もないから、話がかみ合うはずがない。 小出さんは「弱者を守れ」という。ただ、それだけだ。 が、経済優先、除染などというムダに湯水のごとく税金を使う余力があるかとする彼らの主張の根底を透かして見よ。「強いものだけが生き残ればいい」という理屈だ。そんな言い分を認めることなどできるはずがない。人間はサルではないぞ! ふざけるな! *トップ画像は、『電気が足りない? 結構じゃないか! 原発再開するくらいなら、不便結構!』と主張する[藤堂醇の日記]さんより無断拝借(謝)。 ![]() きょうは母の日だそうだ。ということもネットで知った(笑)。なんたって、パソコンを起ち上げればひとりでに出てくるからすぐ分かる。 昔はマックがこれをやっていた。 正月三が日にパソコンを開くと、「新年あけましておめでとうございます。」と出てきたものだが、はじめのころの「謹賀新年」は下手くそな書き文字で笑えた。 アメ公もなかなか味なことをやるわいと、その時ばかりは感心した。 しかし「お誕生日おめでとう」にはびっくりしたな!(笑) きょうは母の日なのか。 乳の日、じゃない(笑)父の日なら毎日みている。 というのも、あっちサイトの25歳の女の読者から、「××(ここはハンドルネームにつき、ノーマル派の奴らになんかもったいなくて見せたくない)(笑)パパ、父の日おめでとう」の手作りカードが、いつも創作の励みに、更新の元気づけに貼ってあるからだ。 ま、あとにも先にもあれほど心のこもったプレゼントをもらったことはなかった。変態サイトは管理人の高ピーな性格もあって反応がないのだ。さびしい。 なんて、いまさら柄にもなく孤高をきどってどうする(笑)。 ●ググっとリンク(笑)●●Mother's Day 2012 - Google Doodle HD [1080p] きょうは母の日記念エッセー。 下手絵も俺(恥)。 m(_ _)m ![]() このシリーズを、お母(か)んに贈りたい。 巷にあふれる、くだらん書物(ほん)の類は読めんでも、「男の劇場」だけは読んでくれ。 旧い映画ばかりやるチャンバラ専門館で、わい、このあいだ「瞼の母」を見た。 幼いとき生き別れた母にひとめ会いたいと、ヤクザ渡世を続けながらさがしもとめる番場の忠太郎の物語……泣けたなぁ、ほんまに。 わいのようなスケベエ渡世の車イス者(もん)が、なんであんな母もの時代劇に泣けるんやろ……。 そういえば、わいにも「瞼の母」の場面があるんやで。聞いてや。 施設の玄関の場面 8歳の六平が車イスに乗って、まだ面会に来(こ)んお母んをじっと待っている。 玄関から、白衣の看護婦が出てくる。 看護婦「六ちゃん、もう、なかヘ入ろ?」 六平「イヤや、わい、お母んを待つ」 看護婦「そんなこと言ったって、この時間まで待って来ないんじゃ……」 六平「お母んはやくそくしたんや。だから、きっとくる!」 施設の屋根の場面 夕陽が赤く染める。 松林の場面 六平はしわくちゃになった、ひらがなだらけのお母んの手紙を読み返す。 〈こんどのめんかいび みやげお(ママ)かって かならずいきます〉の文字。 六平「お母んのウソツキ!」 六平、手紙をちぎる。何度も何度もちぎる。お母んの手紙が紙ふぶきになった。六平、顔を上げて目をつむる。 回想(おもいで)の場面 ふかしパンのようなお母んの丸い顔。綿アメのように甘いお母んの声。できたての肉マンのようにあったかいお母んの胸(なんや、食い物にしかたとえられんのかいな。施設じゃほんま、ひもじい思いしたもんなぁ)…… 六平の顔の場面 閉じた目から涙が流れる。 お母んの住むアパートの場面 お母んにおこられている六平。 お母ん「そんなに言うこときかんなら、もう、お母んの子やない! どこへでも行け!」 六平「お母んなんて大キライや。カタワになるような人間(もん)、どうして生んだんや!」 お母ん、あんなこと言うて、ごめんな。わい、今では、お母んに生んでもろぉて良かった、思ぉとるんやで。 ラスト直前(まえ)・剣げき(映画の一場面より) 母に冷たいことばで追い返され、失意のうちに街を出ようとする忠太郎を、親分のかたきとつけねらう一家が取り囲む。 忠太郎「今夜のおいらにはさからわねえ方がいいぜ」 浪人「そうかな」 忠太郎「(ヤクザたちを見回し)おめぇたち、親はあるか」 ヤクザA「そんなものあるかい」 忠太郎「子は?」 ヤクザB「ねえ!」 忠太郎「ねえんだな? ねえんだな!?」 長ドスが光り、たちまち剣げきがはじまる。血に染まって倒れるヤクザたち(加藤泰監督『瞼の母』=1962年東映作品より)── ……カッコええなぁ。わいもあんな立ちまわり演じてみようかなぁ。 そして現在・国鉄(現JR)のホームの場面 車イスをうしろむきにして電車を降りる、わい。4人ばかりの駅員が取り囲む。 駅員「つきそいは?」 六平「なんやて!?(心の声──きょうのわいにはさからわん方がええで)」 駅員「つきそいはおらんのかいな」 六平「そんなもんおるかい」 駅員「親は?」 六平「おらん!」 駅員「兄弟は?」 六平「いねえ!(ほんとうは両方ともいるけど……なんや、予定の台本とはあべこべの方向にすすんどるなあ)」 駅員「知り合いのひとりくらいおるやろが」 六平「そんなもんおらんでも国鉄がちゃんとやりゃええやろ」 駅員「なんちゅう口のききかたや」 六平「身体障害者はだいじにせなあかんて、ストリップ劇場のモギリのおばんかて言うとるんや。少しは親切にしたらどや?」 駅員「そうゆうこと、自分で言うかいな。他人(ひと)が言うて、親切にされたあんたはありがとうさん、おおきに、頭下げるんやないか」 六平「ほなら頭下げてたのめ言うんか」 駅員「あたりまえや」 六平「(にわかに首を上げ下げし、オーバーに)すんませんが」 駅員「そうそう。他人様(ひとさま)の世話にならんなん者(もん)は、頭を低くせなあかん」 駅員たち、車イスを押しはじめる。 六平「(いかにもわざとらしく)ほんまに親切な駅員さんや。わい、こんな心のやさしい駅員さん見たことない。国鉄のカガミやな」 駅員「(あきれる)」 六平「ありがとさん、おおきに、すまんな、感激や、涙が出るわ、ええ思い出になる、長生きはするもんや……(と頭ペコペコ……)」 駅員「ひ、ね、く、れ、た、人、や、なぁ。そんなんでは好かれへんで?」 六平「(態度急変)上等やないか。おのれなんぞに好かれたら、かえって迷惑や」 駅員「あきれた人やな。運ぶのやめようか?」 六平「(いきなり細腕まくり)おぅっ!!」 駅員「なんや」 六平「わいを誰やと思ぉとる!?」 駅員「あんたヤクザか? アホらし」 六平「ダン六区言うたら、この辺じゃ……(知らん者ばっかりやろな。笹川さんとこにゃコネがないし、田岡さんとこに声かけるのはちとこわいし、あかんあかん後が続かんわ)」 こうして、木枯らしのなか車イスをころがし、独身(ひとり)四畳半の下宿へと帰って行くのや。 つくづく思うなぁ。やさしい女子(おなご)が待ってるならば、外に何人敵がおろうと、どんなにひどい悪態つかれようと、わい、きっと辛抱でける。 *オリジナルはすべてルビ(ふりがな)入り (1980/11/15 第54号より) ![]() 新聞は朝日新聞だった。読売や毎日の販売員が勧誘に、フライパンを持って訪ねようが洗剤をごっそり持って訪ねようが目もくれない熱心な朝日ファンだった。 じつは2003年にやめるべきであった。 2003年はイラク戦争が起こされた年だ。日本の小泉が開戦1時間でアメリカのイラク戦争を支持し、侵略に荷担した年だ。なんと、あの朝日が社説でフセインの亡命を呼びかけ、フセインが政権の座に居座るかぎり戦争は避けられないと戦争を容認したのである。 大バカ野郎である。 朝日の現地報道記事なんか、とても死傷者数万の記事ではなかった。そらそうだ、米軍にくっついて歩いて拾ったエンベッド(提灯)記事だからだ。そんなのを本にして儲けてる詐欺商法新聞社だ。1年見て良く分かった。 そして3・11の大震災だ。 俺は、震災もイラク戦争のバチだと思っている。日本人のバチを東北の人々が一身にかぶったのである。ヒロシマ、ナガサキ、オキナワとなんら変わらない。 日本人の何人がイラク戦争に怒ったか。悲しんだか。政府に噛みついたか。なんら変わらず、なんら変えようとせず、2011年3月11日の大震災を迎え、フクシマを見た。フクシマとともに、多かれ少なかれ日本国中原発震災がまねいた放射能禍にある。 それからはテレビも見なくなった。 俺が1日にテレビを点けるのは、酒のサカナにDVDを見る1時間か1時間半くらいのものだ。 昼間は電気も点けないでいる。 暗いのがいや、なにか音がしてないといやで昼間でも電気を煌々と点け、日がな一日テレビの音をさせていたのが、その両方を消したのだ。 きのう、3・11以来の電気代と、それ以前の電気代を見くらべ、「えっ!?」と唸った。迂闊なことにいままで気づかずにいたのだ。照明と電気でそんなに食うとは思わなかったのだ。 10パーセントの節電なんか簡単だ。テレビを見なければいいのである。 ●死んでるリンク(笑)●●[ざまあみやがれい!]から『バカ! 泊原発の停止後、マスコミは「冷温停止『状態』」と横並び報道してた!』 しかし、これは誰が発表した記事かなあ。 冷温停止状態は、ざまあみやがれい!氏がいうように、そもそもは冷温停止ではない情況を、印象操作に腐心して東電がもちいた造語。道電がそんなバカいう必要は絶対ない。だとすると記者の頭に刷り込まれて、というより動かし難いほど塗り固められていて使ったということだからバカというより硬直。 死んだほうがいいよ(笑)。 続報: やばい! 東京電力が批判のなか、10パーセントの値上げ申請とか。 おいおいおいおいおいおいおい。俺がさっき書いた「10パーセントの節電」は東電に対するヨイショじゃないからな。値上げなんか徹底的に反対、断固粉砕して、全電力会社ぶっつぶしてやりたいくらいなんだ。 ![]() そして放射能事故—— 最悪の災害の原因も正確に把握できず、溶け落ちた炉心がどこに洩れてるかも解明できてない時点での原発再稼働と、相変わらず原発だのみの政府の無策。国民の総意と抗議の声でせっかく全基停止した5月5日子どもの日の夢も、それこそ枝野経産相が口をすべらせた“一瞬”の春の夢に終わりそうだ。 再稼働させても1基か2基。せいぜいが4、5基が関の山か。 数に根拠があっていってるのではない。いまだ進行している原発輸出の利権を守るため、いくらなんでも輸出国が1基も稼働してないことにはかっこがつかないからだろう。すべては金まみれ、金あっての原発なのである。 まあ、それでなくとも福島原発爆発により、除染だ賠償だとどんだけ国の予算があろうと、埋蔵金をひねり出そうとそれこそ小出さんではないが、“贖いきれない被害”なのだから、苦しい政府の胸の裡も分からないではない。 しかし、何度もいう。 日本で原発は無理なのだ。また、もう一度福島と同程度の被害あらば、それこそ日本は取り返しもつかない放射能汚染により、国全体が“死の街”と化しかねないのである。 おすすめ[ざもあみやがれい!]が、「東京湾セシウム汚染情況」を取り上げてくれた。画像は、サイトから無断拝借したものである。●おすすめリンク●●[ざまあみやがれい!]から『東京湾セシウム汚染急激に進行・各原発の発電コスト・石油依存エネルギー安全保障:メモ3点』 「日本はゆるやかな自死への道を歩いてる」という人もたくさんいるくらいで、いまさら東京湾の汚染くらいでおたおたしないが、俺には記事冒頭の「日本の石油安全保障に関する国内外のアレルギー」の一文こそが気になった、というか我が意を得た思いだった。 アメリカがいまだ世界の警察気取りで、各国の原油依存情況に対して、イスラム圏を制する意味からいちいち口をはさみ、いうことを聞かない国には制裁をちらつかす。常ならいざ知らず、3・11でこうなった日本が、石油の安定供給を図って中東の産油国に「いい顔」をすることにさえ露骨な干渉と圧力をかけているのである。 そのアメリカの後押しをしているのが民主党内の親米派であり、原発推進の財界であり、いまだ日本の暗部に巣くう原発マフィアたちであるのだ。 つまり、そういった「アメリカ以外のところと安全保障の盟約を締結することは許されない」と考える人たちが、ここへきて原発再稼働に賛成するようになっている、というのである(内田樹の研究室『原発ゼロ元年の年頭にあたり』)。 最近、また熊井啓の『日本列島』のDVDをみたばかりだが、松本清張の短篇『黒地の絵』も読み、『日本の黒い霧』をとおして敗戦直後の日本で起きた(占領軍の謀略であると断定する)事件の数々もみてきて、日本を覆うアメリカの巨大な力に、どうにも刃向かえぬ暗澹たる思いを抱いたばかりだ。 思えば映画『日本列島』のタイトルバックは、紙の上の蟻を下から炎であぶって火を点けていき、どんどんどんどん追いつめていくんだけど、いわば炎はアメリカで蟻は狭い国土で逃げ場もなく追いつめられていく日本人をあらわし、いまなら福島原発爆発の放射能災害禍、もっとぴったりくるだろう。 いまこそ日本はアメリカの呪縛を断ち切って正真正銘の自主独立を勝ち取らねばならない。それしか生き残る道はない。 上画像は、北朝鮮・信川博物館展示の、朝鮮戦争時の戦争犯罪を描いた『米軍(国連軍)悪行告発絵画』([21世紀の太陽]サイト写真編 『朝鮮民主主義人民共和国 2000年夏−7』より)から4点。 けっして嘘でもプロパガンダでもないだろう。それというのも、著名なアメリカ人自身がこういっているからである。 [……オランダで堤防を開いたのは戦争犯罪でした。ところがわずか数年後、北朝鮮でアメリカは壊すものがなくなったとき、ダムを爆撃した。ひどい犯罪です。堤防を壊すより悪い。 得意気に語っています。空軍史などには詳細に描写してあります。ぞっとするほど詳しく。洪水を起こし、人々を困らせるのは偉業でした。 “見ろよ、アイツらがコメを食うアジア人だ” “田んぼが台無しだぞ”](ホームページ版ホンマタイムス『映画「チョムスキー9.11」採録』より) ![]() [月が満月を迎えるタイミングと、地球との距離が年間で最も近くなるタイミングが重なる「スーパームーン」現象が、5月5日の夜(日本時間6日の昼頃)に訪れる。](gooニュース)とか。 窓を開けたりはしないが、それに日本では明日とのことだから、「原発ゼロ」を祝って一献傾ける今夜は、心の夜空にスーパームーンを思い浮かべて、原発の明かりなどは忘れて月の光にしみじみと思いをいたそう。 さて、いまにして思えばきょう昼間のことになるが、小説書きの途中、外をサウンドを鳴らした車が通りかかり、「すわ! 全原発停止を祝うデモでは!?」と早合点した。 我が家は江戸通りと春日通りの交差点にあり、江戸通りは日本橋を経て銀座に通じ、その先は官庁街の虎ノ門にも至り、そのせいか否かはるか以前にそんなことがあったからだ。 あれはなんのデモだっけ。シュプレヒコールを聞いたとたんに血湧き肉躍り、あとさき考えず飛び出し、電動車イスの人となって最終地点まで付き合ったものである。 そもそもは暮れの寒い時期に隣室が出した火事で焼け出され、車イスや高齢者に貸さない住宅事情でもなければ商店街もなにもないこんなとこ住むところではなく、しかしその時デモが通りかかったのは嬉しく、「やあやあ、なかなかいいところではないか」と見なおしたのも束の間、そんな経験はあとにも先にもなく、その一時限りだった(笑)。 きょう、日本で最期の1基、北海道泊発電所の原発が、制御棒を入れられて停まる。これから深夜11時ころのことだという。 経産相前のテントでハンストなどしている人たちは、いまはどんな気持ちで頑張っているのだろう。その時を迎えるのだろう。 3・11からこっち、日本中でずいぶんたくさんの人たちが頑張ってきた。俺なんかなにもしなかったくせに、ただ口ぎたなく「日本人のバカヤロー」「自殺民族のクソヤロー」と罵ってきたが、いまは謝るしかない。 m(_ _)m 原発利権の反撃におたおたするしかなかった政権にどうにか再稼働をさせず、“原発全基停止”の日を迎えられるのはほかでもない、全体の7割とも8割、9割ともいわれる脱原発市民の総意にほかならない。 海外のアホどもはただ「逃げろ」「逃げろ」と騒ぐだけ、「逃げない奴は自己責任」と煽りたてるだけで、自分の足下の原発にはひとことも触れず、反対せず「言うだけタダ」の無責任エールを送るのみだった。 また、脱原発といいながら、即時停止といったら敵を増やすという負け犬根性で、「原発段階的停止」などという実質容認主張で脱原発機運の足を引っぱり、裏切りつづけてきた連中は、いまどの面下げて生きてるのか。 きょうのウェブ東京新聞は、『こどもの日に考える 未来を築く人たちへ』と題した社説を含め、朝11時半現在7本もの原発関連記事を取り上げた。 読んだ順に列挙する。 『発言避ける政権 反対世論の拡大を警戒』は、いつものあいまいな表現をとりつづけ、「地元理解が前提」としながら、関西圏の電力事情をにらんで、主張のはしばしに「再稼働」をちらちらさせている。 だからこそ『鈍すぎる政治 大飯再稼働問題』と打って批判を忘れない。 そして『再稼働狙う候補9基』は、政府・電力会社が再稼働のターゲットとする「巨大津波が怖い太平洋側ではなく、格納容器の容量が大きい加圧水型軽水炉(PWR)で、運転年数が比較的少ない原発」として絵入りで説明した。 しかし事故時の基地となる免震施設も、周辺住民をすこしでも安全に避難させるベントのフィルター設置も手つかずのままでは、再稼働の条件などといえたものではない。 それでも『東大流節電の取り組み』にからんで節電を呼びかけ、『信頼揺らぐ電気料金(上) 身を削る経営努力 足りず』と新たなシリーズを立ち上げて消費者へ、値上げとの闘いの決意をうながし、『原発ゼロ時代に挑む 運転46年 全50基が停止』で原発日本の歩みを振り返りつつ、社説において子どもたちへ、未来へと日本のこれから歩むべき脱原発への道を熱くつづった。 今夜、日本の全原発が眠りにつく。 ただ、しかし、いまのままでは安全でも安心でもない。 まずは全基停止した原発を二度と動かさず、このまま眠りにつかせるしかない。その間にふたたび原発を爆発させる大災害があるかないかは、神頼みする以外にない。 おそらく政府も地震国日本で原発を動かしたくないのは本音であろう。大飯をつついたのは、大飯なら関係する周辺自治体も多く、首長や周辺住民の反対に遭うことを見越して騒ぎの火を点けたと俺はみている。それゆえ大飯が再稼働されることはないだろう。 もちろん、ひきつづきたゆまぬ闘いは必要で、政府はそれをバックボーンに、原発推進勢力の反撃の力をなし崩し的に削いでいくつもりなのだ。そんな姑息な手を使うしか、いまの政権に脱原発を大なたふるってやれる力なんかはないのだ。 だが、俺は悲観はしてない。 日本で原発を動かすことなど絶対無理だからだ。 左翼はただ危険だ、逃げろと騒ぐだけ、右翼は核武装をにらんではじめはおおきな声にもならなかったが、保守の大物論客でさえちかごろは「国防も内部被曝でがたがた」といいだす始末だ。そう、外部被爆(外敵)より内部被曝(自爆)こそ未曾有の外敵である。54基もの、いったん暴走したら止めることができない悪魔を抱えてなんの国防か。 日本は、まず原発から撤退する。 そして原発をつくらず、うごかさず、現在あるものは国を挙げて早く廃炉に向かう、この道しか残されていないのだ。 ようやく、原発推進の道は国家テロ、自滅カタストロフでしかないという論調がではじめ、小出さんの「原発は犯罪」「原発は悪」という主張が、やっと真っ当な常識として世に認められようとしている。 なんどでもいうが、勘違いするなよ、バカ左翼。原発に反対派も推進派もないのだ。原発推進は兇悪・極悪でしかないのだ。両論併記すらとんでもないことなのに、段階的停止とはなんというキチガイ沙汰だ。 続報:東京・芝公園で開かれた「原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会」への参加人数が、奇しくも5500人だったそうです(ほんとかよ!)(笑)。やはり、神様はいるんだな(嬉)! 会場では「さようなら原発」鯉のぼりが参加者一人ひとりの手に持たれ、「原発はいらない」、「再稼働を許さない」の思いを乗せて泳いでいたそうです。(発言録や写真報告は後日、当ブログのお気に入りでもある[さようなら原発1000万人アクション]で掲載、とのことです)。 ●写真でリンク●●おすすめ[Galleria Kamex 画像掲示板]からかめよーんさん撮影『原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会』写真集まとめ さて、天下の赤新聞読売と産経はそろって『全原発停止 これでは夏の電力が不足する(社説)』、『「原発ゼロ続けば日本は衰退」 産業空洞化の懸念』と主張、全原発停止を政府の“怠慢”・“失態”とわめきたててるが(笑)、俺が「祭りだ! 祝杯だ!」と騒いでるのをノー天気と思ってる人も多いだろうが、いままで稼働していた原発が全部停まって、いま、停まる前となんら変わりない生活を送っているということは、どれだけ凄いことなのか、大事件なのか、読売、産経のバカ記事がバカ記事である所以とともに、以下サイトが代弁してくれている。 ●同感リンク●●[Everyone says I love you !]から『2012年5月5日のこどもの日 日本の全原発が停止し原発がなくても地球は回ることを日本列島が実感する』 ●声明リンク●●[原子力資料情報室 (CNIC)]から『原子力資料情報室 :〈CNIC声明〉わたしたちがエネルギーを選ぶ新しい時代へ』 ![]() ところが我が家は暗い映画ばかり(笑)。 しかたなく、月曜に録画したっきりの『悪女について』でも見るかと思った。 開巻数分、沢尻エリカなんかダイコンだろうがなんだろうが、女であるからには身体さえあれば妄想力たくましく、どうにでも見れた。ところが船越英一郎がでてきたとたん、いつもの学芸会芝居に脱力した。こいつは親父からしてダメだった。もう見るのはやめた。最近、映画しか見なくなって、テレビのインチキ演技などみる気もしなくなった。報道もニュースもみないから、我が家でテレビを点ける時間は呑みタイムの1時間だけだ。節電したきゃテレビを消せばいいのだ。バカになることもなく、これほどいい手はない。 おっと脱線。 というわけで代わりに見たのがこれだった。 1969年。リアルでも見たが、たしか70ミリの画面だったかと思うが、冒頭の殺戮シーンで、撃たれた男が馬ごとショーウインドウを割って倒れ込むスローモーションショット、しかも内側からのカメラが凄い迫力だったのをいまでもはっきり記憶してるが、そのときにも、あとでビデオで見た時にも、「それほどいい映画か?」と疑問に思うほどだったが、これも最近アマゾンから廉価で注文して手に入れたものだが…… えっ! こんなにいい映画だったの!? と息を呑んだ。 これも3・11効果か!? サム・ペキンパー最高傑作と人はいう。 ●共感リンク●●[森のかけらブログ]から『粗にして卑にあらず・ワイルドバンチ!』 ![]() 1954年3月1日は日本のマグロ延縄漁船がアメリカのビキニ環礁水爆実験で被曝した日である。思えば1945年8月6日広島、同9日長崎に次ぐ、日本におけるアメリカの手になる3度目の放射能被害の日なのである。 それを史実に忠実に再現したのが先述の映画で、監督は新藤兼人だった。 これを3・11の直後見なおし、最近また別の感慨をもって見返している次第だ。 俺自身の記事としては別に建てるが、きょうはネットで拾った記事をリンクする。 映画は近代映協という独立プロ作品だが、おなじ会社の作品としてここでも取り上げたが、『ひろしま』という8月6日の再現映画もあるが、ここでは8万人というエキストラを動員して感動的なラストシーンを実現したが、『第五福竜丸』でも8万人にははるかに負けるが(笑)、主人公久保山愛吉さんの葬儀(国民葬?)の場面で大エキストラが動員されている。独立プロの実力である。 大エキストラを可能にするのも、映画に魅力があればこそなのである。と、そう思っていたちょうど最近、異色の映画紹介ブログでこんな記述を見つけた。 以下に引用する。 [映画というものは、金をかければ良いというものではない、と、心ある映画ファンは言った。 この言葉の意味するところは、たった一つ。すなわち、「金をかけた映画にだって、つまらないものは沢山ある」ただ、これだけである。 しかし、多くの人は、この言葉の意味を取り違えてしまう。特に、映画の製作に携わっている者が読み違えたとき、これは悲劇である。どう勘違いしてしまうのか。それは…… 「金がなくてもアイデア次第で良い映画は出来るんだ」 あえて断言するが、そんなことは絶対にない。 本当に良い映画が出来るようなアイデアなら、そのアイデアには必ず出資する人が現れる。出資者が集まらない時点で、良識ある映画製作者は、本来ならそんなアイデアは放擲しなければならないのだ。]([クズビデオ49日]より) はげしく同感する。 おなじ意味において、金をかけないことを逆手に取って「内容で勝負」してるかのように、ATGなるジャンルの映画が芸術点で評価されているが、俺にいわせれば噴飯物である。クソ面白くもない映画に時間をかけて見るほどヒマなのかと言い返したい(画像は映画の一場面)。 ●感銘リンク●●[幻視]から『久保山さん』 ![]() えっ!? Jedit(俺が長年愛用している文字入力ソフト)って「脱原発」だったのか!? びっくりした。なにか凄く新鮮なおどろきに打たれた。 俺の使ってるので「脱原発」は、電動車イスのスズキに次いで2番目だ。 みずほなんかとっととやめたいけど、城南信用金庫は近くにないからな。 ちなみに、三井住友銀行にも入っているのは、吸収されるまえが平和総合銀行(名前に惹かれた)(笑)だったからだ! 三菱UFJなんかの通帳があるのは、この界隈で段差がなくて入れる銀行は三和銀行しかなかったからだ(泣)! 目のまえのみずほが第一勧業銀行といってた昔は、バリアーもバリアー、戦前からの建物だったからだ(怒)! 台東区駒形って、とんでもないクソタウンだな! っていうと、それは銀行が悪いんだろうといわれるかも知れないが、町自体人にやさしくないから、「そんなのでもいいかな」という雰囲気ができちゃってる、したがって「銀行もバリアーでいいや」ということになるという理屈なのだ。 ![]() とまあ、目くじら立てなくとも、娯楽は娯楽として愉しめばいいのだよ。これがダメなら『キル・ビル』はどうなるんだ(笑)。 おどろいた。 わがブログのアクセス解析に、これに関連した記事に読者がきてくれたおかげで知ったのだ。 もっと気の利いた(大画像)のを捜そうとネットを泳いでいて見つけたのだ。あれー? DVDと出てるよ、「パル企画」なら輸入盤だろう、なのに日本字タイトルとはどういうこっちゃとくわしく確かめた分かった。 なんと、れっきとした東映発売で、ちゃんと国内DVDとして2月に発売されていたのである。いつ出るか、まだ出ないか、やはり内容が内容だけにDVD化は永久に無理ではないか、そう思われてた珍品だけに、それがこうして日の目を見ることになるとは、やはり3・11で世界は変わったのだ(笑)! 生きていて良かった。生きていられたことに感謝したい気持ちにまたなった(泣)! といってかんじんの牛裂きもハッタリくさく(笑)、ストーリー性もあまりなく(ぷっ)、これはという女優がでているわけでもなく(泣)、B級のなかではCランクに数えられる、超A級トンデモなゲテモノ時代劇ポルノだが…… アマゾンレビューのひとつに曰く「ソフト化された事にだけ意味がある」作品(爆笑)、3746円という価格ながらさっそく注文した(嬉)! まあ、これまでは陰惨な結末に、中身を詳細に語る機会も勇気もなかったが(笑)、3・11を経て(笑)、世界観も死生観もがらりと変わって、こういう映画の存在性も堂々と語れるようになったのは感慨無量である。 というか、この作品が封切られた1976年という年が、俺にはとりわけ意味をもつ、まさに事件! と呼ぶにふさわしい年なのだ。 近く記事にするつもりである。 パッケージ画像はブログの性質上(笑)遠慮して上半分としたが(それでも乳出てる)(笑)、別に東映に義理もへったくれもないが、惹句(コピーですね、分かりやすくいえば)(笑)に問題はないので突っ込んで恥をかかぬように! ていうか、俺ひとり疑問に思っただけかも知れないが……(泣) 2時間サスペンスが好きなのに、こんなことも知らなかったとは、あな恥ずかしや! 註: けい‐じ【刑事】 1.刑法の適用を受け、それによって処理される事柄。「―責任を問われる」⇔民事。 2.犯罪の捜査を主任務とする警察官の通称。私服で勤務することが多く、階級では巡査または巡査部長。(goo国語辞書より) ●参照リンク●●アマゾンから『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』カスタマーレビュー ●記念リンク●●哀惜! 1976年創刊、7年つづいたミニコミ新聞を偲ぶエッセー『「こちらは〈月刊障害者問題〉デス」 ~わが“ボロ旗新聞”のたそがれ~』 ![]() ところが中国はアメリカと対等に肩をならべ、アメリカも中国と協調するようになっては、「アメリカ様々」のネトウヨなど中国を目の敵にできなくなり、韓流ブームの大勢に押されて韓国を悪くいえば自分がコケにされる。その反動の北朝鮮たたきだ。 だからといって、日本はそれほど誇れる国か? 小泉政権からこっちの日本、北朝鮮とどれだけ違う? 報道の自由だって? 日本にいまある報道の自由は、政府と財界とアメ公の手先(笑)のための広報機関。マスコミが体制や大企業やアメリカ従属から距離を置いて機能しない社会のどこに報道の自由があるのか。 さらにマジ、福祉は後退、マジ、格差は拡大。いくら努力しても報われない世の中、貧乏人は貧乏なまま、それを「自己責任」と笑ってたネトウヨどもも、いつか自分たちにも順番がまわってきて、他人事とばかり笑っていられなくなった。ざまあみやがれ。 自分たちが票を入れて引き立ててきた自民党は、野党になっても国民目線の政治ができず、夢見る夢子ちゃんのまま、いやさ気が狂ったまま、あの3・11原発震災のあとにも原発推進、原発稼働を広言してはばからぬ。 最後に残ったバカは「自民党なら乗り切れた」、「いや、自民党なら地震も津波もこなかった」(笑)。死ね! ところで赤旗は、橋下が嫌いなんだろうな。もちろん俺だって嫌いだが(笑)。 [橋下徹大阪市長は26日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働について、「住民が(厳しい節電を)我慢できるといえば、再稼働なしでいけるだろう。無理だったら再稼働しかない。府県民の判断だ」などと述べ、電力ピーク時を乗り切る責任を住民側に押し付け、乗り切れなければ再稼働もありうるとの考えを示しました。](4月27日付『原発再稼働容認を示唆 橋下大阪市長 住民に節電責任押し付け』) 俺も一貫して橋下の「脱原発」や「電力会社に対する抵抗姿勢」には眉にツバを付けて見ていたが、赤旗同様「やっぱり」と見るほか、「それはそれでいいではないか」という見方もできる。 というのも、『(大阪市が)原発検証の有識者委員会設置を検討(毎日新聞)』という記事を見てもらいたい。おすすめ[ざまあみやがれい!]サイトの引用からだが、 [関電大飯原発3、4号機の再稼働について、府と市の「エネルギー戦略会議」が地元同意の範囲を100キロ圏内とするなど8条件を国や関電に求める方針を決めたことを受け、橋下市長が発言した。 橋下市長は「(地元同意という)権利をもらうには責任を持たなきゃいけない。安全委員会のような組織を、『原子力ムラ』から金を受け取っていない人たちで作るのもいい」などと述べた。] というのだが、そもそも福島原発爆発にともなう放射能汚染とホットスポットは、食品汚染とともに日本全国にまたがっており、100キロ圏と範囲を決めることじたい、原発の危険性を過小評価していることになる。 ただ、遮二無二「脱原発」「即時停止」を訴えたとて、電力会社のあおる「電力需給不足」を鵜呑みにしている市民からの拒否反応を招いてはマイナス。それよりは安全基準のハードルを高くして、どうせできっこない数値で電力会社をきりきり舞いさせるという戦法なら、それはそれで意味があると思う。 橋下の真意はどうあれ、たとえ政権が脱原発に舵を切ろうが、橋下が対原発姿勢を強めて政権を牽制しようが、かんじんかなめの民意があやふやではどうにもならない。 小出さんが「世界が変わった」といった3・11以後の日本。正に世界は変わったのだ。それゆえ日本は、3・11原発震災を経て千載一遇の「脱原発の好機」なのだ。 いまをおいてこの先、日本が原発と手を切る機会はこないであろう。このまま3・11以前の原発依存のエネルギー体制を維持しつづけるなら、第二の福島の悲劇はかならず訪れ、その時は原発廃止だ存続だという議論のまえに、日本民族は国土の大半を穢され、食品被曝を前提としなければならない絶望の淵に立たされ、それこそ「悲嘆と悲惨の思考停止状態」に陥るだけだからだ。 5月5日、日本の原発の最後の一基が停まり、原発ゼロの瞬間を迎える。そして、この日から歴代自民党政権が築いてきた原発伏魔殿を突き破り、原発利権の根を断ち、原発立地地元の雇用を含め、原発依存の体質、原発により甘い汁を吸ってきた原発マフィアに打ち勝つべく、停止した原発を二度と「動かさず」「認めず」「すべて廃炉に」という新たなる闘いがスタートを切るのである。 ●北朝鮮からの報告リンク●●[鈴木邦男をぶっとばせ!]から『金正恩さんを見た!演説を聞いた! 北朝鮮レポート①』 ●北朝鮮からの画像リンク●●[裏ニュースとニュースの裏]から『2008/11/11 北朝鮮の最新情報』(画像も記事から無断拝借) ![]() ネットに公開されるキャンパス紹介にいわく。青山学院講堂。1969年3月完成。1701席とのこと。それがすべて満席の盛況であった。キャンセル待ちは数知れず。いやー、凄かった。しかし、若い人はほとんどおらず、なにかレトロな邦画でも見にいった感じだ。 あとで同時台にユーストリームが中継されていたことを知った。若者は家で寝転がってパソコン画面を眺めでもしてたのだろうか。それじゃあべこべだ。まず、それはあるまい。では、この年齢層はなんだろう。それだけがひっかかった。 講演はいつもの小出さんらしく、場内を暗くして、演者の舞台も暗くして(それゆえ映画館の雰囲気で皮肉の1つも思い起こさせたのか)(笑)、豊富なフリップを使っての原発あれこれで、この日のタイトルは『優しく生きることと原子力』だった。 福島原発爆発から放出された量。4基ある原発の破壊状況と、広島原爆と比較したけた外れの使用済み核燃料。崩壊寸前の4号建屋が蓄積する全体量との比較。今回、生態系への影響については、会場からの質問が補足して深刻な実態をより深刻に語らせた。 司会者であり主催者でもある落合恵子さんのニックネーム「やまんば」にちなみ、途中、花咲山の童話をまじえ、落合さんの飛び入りでかけ合いトークを仕掛けるなどなかなか芸も細かい。「連れ合いがファン」というジュリー沢田研二の反原発ソングも流れた。 痛烈だったのは、途中登場の落合さんから紹介されたある小学生からのメール「小出さん、原発はとめられますか?」という質問。小出さんはなんと答えたのだろうか。それをはっきり憶えてないのは、その瞬間「ぶんきょうく」のランドセルを思い出したからだ。 それは俺の車イスの目のまえを、おじいさんか誰かに手を引かれて歩いている小学1年生くらいの少女の背中だった。頼りない足取りで、無防備で、無垢を絵にしたような光景で、顔の見えない少女の背負ってたランドセルに「ぶんきょうく」の文字があったのだ。 2人はつぎの角を曲がっていなくなった。 衝撃はそのあとできた。 〈そういえば文京区でもホットスポットが見つかったというようなニュースがあったよな〉そう思ったが最後、さっきすれちがった少女のいとしさ、不憫さがつのって、昼日中の町中にもかかわらず、滂沱のなみだを流してしまったのである。 その不覚を思い出し、メールの少女(男の子かも知れないのに)(笑)とランドセルの少女が重なって(これも年齢的に合わない)(笑)また涙となってしまったのである。 答えは落合さんが出してくれた。その時には俺の気持ちも立ちなおっていた。 ——小出さんにお礼をいいましょう。 そして、わたしたちは決して小出さんにお願いしますとはいわないようにしましょう。前を歩いてくださいともいわない。ともにかんがえ、手をつないでいきます。だから、分からなくなった時には教えてください。その道しるべになってください。そうやって脱原発の道をいっしょに闘っていきましょう。 と、そんな意味のことだったと思う(まだ立ちなおってはいないか)(笑)。 ネットでひろった感想をひとつ紹介する。 [運よく中で見させていただきました。素晴らしい講演でした。背中を押されるというより、手を繋いだような講演でした。](Mutsuko Nagamine) それにしても、歯に衣着せないのは小出さんらしい。 「大人はどうでもいいと思っている」と言い切り、ここでも「子供を守る」という目的と立場を明確にしていた。そのためどうするかという一案を「18禁映画」にかけてここでも爆笑を買っていた。何度も拍手が湧き、笑いも絶えないいい雰囲気の講演だった。 さそってくれた友人も俺と同世代か上の世代だったが、やはり若者の参加のすくないのを気にかけていた。小雨の降るなか、傘も差さず若いところを見せたが(笑)、「60禁、70禁ばかりじゃしょうがないね」との苦笑にははげしく同感した。 原発は停まるのだろうか。 いや、停めねばらぬ。命を賭けてでも! それが大人の責任だ。 ●動画でリンク●●ユーチューブ『4月22日 小出裕章さんの反原発教室「優しく生きることと原子力」(クレヨンハウス)』 ●メッセージリンク●●[原子力資料情報室=CNIC]から『ノーニュークスアジアフォーラム2012(No Nukes Asia Forum 2012)共同声明文』 ![]() [車いすで外出をしようとするとき、タクシー以外手段のなかった時代がある。 そんななか、初めて電車に乗って新宿まで出たとき、夢のような気分で天にものぼる思いだった。窓を走る風景に、時間のたつのも忘れたほどだ。 しかしそれはつかの間の夢心地だった。 2度目に乗ろうとしたときは駅員の拒否に会い、「付き添いをつけて出直せ」と追い返され、昇った天からまた突き落とされる思いだった。 それから30年近くたち、あいかわらず不便ななかにも、30年近く前とは確かにちがうさまざまな手応えがある。あれほど夢に見た車いすシンボルマークが、街のあちこち、交通機関の要所要所にやたら目につくようになった。 もう付き添いをつけろと言う者はいまい。いや、そんな時代があったことなど誰も知らないかのようだ。 国鉄の駅はおろか、私鉄や地下鉄の駅の改札にさえ、紺地に白の車いすシンボルマークが張り出され、車いすを応対する職員は一様に親切だ。 「車いすというだけで、昔は公然と拒否されたんだよ」 そんなことを言っても、今の若い駅員はいつの時代の話かと首をかしげるばかりだ。 都バスの車掌が車いすの上げ下ろしを一般客に頼むと聞いて、俺は立たない腰が2度抜けるほどに驚いた。 労働強化反対を金科玉条に、天下の国労(国労といってもわかるまい。昔のJR、国鉄労働組合のことだ)さえ車いすの社会参加を阻んできた。 当時、駅を利用する車いすの障害者を、階段などで運ぶ職員は組合員以外の職制に限られた。だから、人員不足は否めない。 ただしかし、俺も今のように電動ではなく、手漕ぎの車いすだったから車いす本体の重量は軽い。軽さを競うようにメーカーは作ってきたので、ステンレス合金で12キロくらいだった。それなら大人ふたりで運べないことはない。 応援の駅員を呼んで待つあいだ、 「2人より3人の方が楽ですよ」と提案した。 「それはそうでしょう。しかし、この時間では2人が精一杯なんですよ」 「通行人に頼みましょうよ。元気で、手の空いてる人、けっこういると思いますよ」 これは、駅員のいないとき、待っていられないとき、俺が自らやる手だった。ちょっと頼めば、割と気軽に介助が得られた。駅員と2人なら、よりつかまえやすい。 ところが、 「とんでもない。お客さんにそんなことは頼めませんよ」 それこそ、とんでもないという表情をあらわにして、それ以上は取りつくしまもない有り様だった。 「いやあ、このあいだは電動車いすで来られて、まったくたまりませんでしたよ」 夏の暑い盛り、汗だくで運ばれながらそんなことを言われた日には針のムシロである。それを知っているから、手漕ぎから総重量70キロの電動車いすに替えた当初は、とてもじゃないが駅員の介助なんか頼めなかった。 しかし、その頃から駅の改札口には車いすシンボルマークが張り出され、実は電動車いすといえども気安く迎える環境は整っていたのである。 そんな風だから、都バスが電動車いすの乗り入れを認め(シンボルマークは早くからついていたが、あくまでも付き添い付き前提だった)、一般客への手伝いを運転手自らが呼び掛けると聞いたときは、驚天動地の心境だったのだ。 あの時代とこの時代の違いはなんだ。今の駅員とあの時代の駅員の心のどこが違うというのか。俺はそこのところが今でもわからない。 しかし、それぞれの時代を生きてきた俺たちは、少なくともそのときどきの怒りや悔しさを知っている分、逆に自由を得た今の喜びは計り知れないものがある。それこそ、「乙武よぉー、君にはこの気持ちがわかるまいなあー」という気分である。 その喜びを、大江戸線が運んできた。](『大江戸線車いす漫歩』総論「あの頃」より) ![]() ちょっと黙ってられないので小説書きを中断する。きょうの赤旗。 俺ら重度障害者のために怒ってくれた。 [障害者自立支援法は自公政権によって2006年4月に施行されました。障害者が生きるために必要な支援を「益」だとして1割負担を課し、障害が重いほど負担が重くなる「応益負担」を持ち込みました。これへの怒りから、08年には全国14カ所で違憲訴訟が起き、廃止を求める運動が広がりました。] 恥ずかしながら、俺は障害者自立支援法についてほとんど関心がなかった。なぜなら、「健常者がそんなに不満なら、すこしくらいの税金は肩代わりしてやれよ、それで質素になっても死ぬわけじゃないだろう」「その分、別のいいたいことを強くいえるだろう」という安易な妥協だった。 ところが、最近の2チャンなんか見てると目に余る。 そのいい例がネットゲリラの以下主張だ。 [カネなら欲しいが、コメなんか要らない、というのが、ナマポ受給者なんですw 試しに、現金は全て廃止して、ナマポ希望者は全て山奥の施設に収容して餌も娯楽もあてがいぶちにしたら、受給者は半分以下になるだろうw ついでに、障害があろうが高齢だろうが、何かしらの「仕事」を義務付けてもいいね。 寝たきり老人でも電話番くらい出来るだろう。] 「ナマポ」とは「生活保護」のことで、国の基準がいいかげんなため、ほんらい生活保障である手当を生保に充てられたため、遊んでぶらぶらしながら生保を受けている不正受給者といっしょくたにされたのが、上記の揶揄、皮肉になるわけだ。 ネットゲリラは2チャンの羅列で、2チャンも世論という意味で俺はオススメに入れているわけだが、引用したのは2チャン部分ではないぞ。川本耕次という管理人が自説、自己主張として掲げる冒頭のリード部分だから、これはネットゲリラの社説なわけだ。 脱原発や政治風刺には鋭い私見をもっているのに、こと障害者問題に関してはじつにお粗末な認識しかないわけだ。 当ボログにも「在日特権」「障害者特権」と噛みついたバカがいたけど…… 「障害」定義にもいろいろあるけど、すこし古い記事だけど、上げたものかどうしようか迷っていまに至ったが、この例など俺にいわせたら自己責任だろう。 [横浜市で二〇〇九年、自転車の高校生を車ではねて逃げたとして、道交法違反(ひき逃げ)の罪に問われた同市内の男性被告(46)の判決が二十一日、横浜地裁であった。久我泰博裁判長は「糖尿病による低血糖症で意識障害に陥っていた」と故意や責任能力を認めず、無罪(求刑懲役一年)を言い渡した。 男性は車の運転中に低血糖症で意識障害となり、公判では、事故に気づかず走り去ったことがひき逃げに当たるかが争点になった。事故自体の責任は問われておらず、事故後に救護をしなかった責任だけが争われたケースは異例。公判では、検察側が裁判所に紹介した鑑定医が事故当時の被告の状態を「糖尿病に起因する無自覚低血糖症により、著しい意識障害に陥っていた疑いがある」とした。久我裁判長はこの鑑定を採用し、ほぼ弁護側の主張どおり「人をはねた認識はなく、(ひき逃げの)故意は認められない」と判断した。 検察側は「事故前後、赤信号で停車するなど正常に運転できており、人をはねた認識はあった」と主張したが、久我裁判長は「もうろうとした状態で、事故の報告や救護に思いが至らず、行動を制御する能力を欠いていた疑いが残る」と退けた。 判決によると、被告は〇九年九月一日夜、車で帰宅中、横浜市中区で、路上駐車の車をよけた際、反対からきた自転車の高校三年生の男子生徒=当時(17)=をはねた。高校生は二十日後に死亡した。 男性は自動車運転過失傷害容疑でも逮捕されたが「事故の記憶がない」と一貫して容疑を否認し、嫌疑不十分で不起訴となった。 横浜地検の堀嗣亜貴(つぐあき)次席検事は「判決内容を精査し、上級庁とも協議の上、適切に対応したい」とコメントした。 ◇ 閉廷後、生徒の父親は「残念で悔しい。これでは息子が浮かばれない。検察は控訴してほしい」と話した。](3月22日付ウェブ東京新聞朝刊『死亡ひき逃げ 「はねた認識ない」無罪 糖尿低血糖で意識障害』全文) この裁判の無罪判決をくだした裁判長は無能というべきだろう。 俺にいわせれば正しくは、「未必の故意の殺人」だ。人の命に対して無責任で無頓着な本人の加害性はいうにおよばず、過去にも同様の過失傷害があったのを考慮に入れなかったなど、言語道断の司法判断だ。 患者はみずからの病気を知る権利を有すると同時に、知っておかなければならない義務と責任を負っているんじゃないか。第三者におよぼす影響をかんがえれば当然だろう。 ネットゲリラはこういうことには目を向けないのだ。 なぜなら、自己管理能力を身につけるなど至難のワザと、自分に向いてきそうなことには頬被りしたい習性からだ。「障害者は運が悪かったから」で、しょせん自分にはその番はまわってこないと高をくくってるのだ。 赤旗のつづき。 [民主党は、これらの動きに押され、09年のマニフェストで同法の「廃止」を掲げて政権交代を果たしました。長妻昭厚労相(当時)は就任早々「廃止」を表明して、違憲訴訟団との和解を模索。訴訟団は、同法の廃止と新法の制定を確認した「基本合意」文書を取り交わし、国と和解しました。 ところが「総合支援法」は「応益負担」の枠組みを残したまま。家族の収入を含めて負担を課す仕組みもそのままで、障害を自己責任・家族責任としている点で自立支援法の根幹を残しています。] そして形骸化したままの(改正)「障害者総合支援法案」を自公とともにごり押しした民主党政権。増税を乗り切るための取り引き要件であることはみえみえだ。暗黙のもとに「弱者にも痛みを持たせた」といって国民に増税を迫る、どこまでも姑息で陰険な政権だ。 ●参考リンク●●[惨憺たるアンコウ]から『埼玉新聞の自立支援法改正案批判コラム』 ![]() 4月12日10時までの一次締め切りの段階で、4,423人、228団体が宣言に加わり、首相官邸に、また、野田総理の地元事務所に、4大臣の国会事務所に、集まった貴重なメッセージを提出したとのことだ。上の記事タイトルは、そのうちの最新メッセージの一文である。 狭い日本に生きる1億3000万市民を袋のネズミにしてどうする。もう一度原発を爆発させて、日本中を逃げ場のない核の墓場にするのか。そんなケタ外れの責任を誰が取れるというのか。いや、政府は守るべき国民に大量被曝をさせ、いまだその元兇である犯罪者を裁かず、野放しにして、横暴の極みをつづけさせている。 無法国家である。無政府状態のならず者国家である。 以下全文。 [私は福島県から小学生の娘二人を連れて大阪に母子避難させて頂いている母親です。 震災直後、ほとんどの人々が、買い出し、水汲み、給油等の為、何日も何日も何時間も何時間も外に並んでしまいました。しかし、その時には既に、私達が住んでいた郡山市でさえ毎時20マイクロシーベルトの放射能が降ってたのです。その事実を知ったのは、それからかなり後になってからの事でした。ライフラインが全て断たれていました。ラジオでは原発の様子を漠然とは伝えていましたが「危険」とか「避難」した方が良い」とかは全く伝えていませんでした。だから、水はお一人様何本までとか買う本数を決められていた品物もありましたので、妊婦、赤ちゃんを背負ったお母さん、と老いも若きも並び続けたのです 。 こうして、知らない間にみんな被曝してしまったのです。誰も私達を守ってくれなかったからです。電力会社も。政府も。マスコミも守ってくれなかったのです。少しでも良心があるのなら、例えパニックを避ける為だったとしても「念のため、マスクはしておいた方が良いでしょう」とか「念のため、外出は出来るだけ控えていた方が良いでしょう」とか言えたはずです。でも誰も言ってくれませんでした。誰も守ってくれなかったのです。その出来事を皮切りに震災後、政府も、電力会社も、マスコミも、次々と私達に非人道的な態度を取り続けています。 震災、二日目にはスーパーから水やお茶などの飲み物が消えました。三日目には、残っている物と言えば、甘いお菓子だけのように思われました。買い物に行った私は当時9才だった娘に何か食べ物を探して来るように言いました。そしたら、娘は煮干しを探して来てくれたのです。普通、子供だったら甘いお菓子を選びがちだと思います。しかし、娘は娘なりに、この危機を感じとり、煮干しを選んで来てくれたのです。私は本当に有り難く思いました。 それからの私達は次に、いつ食べ物や飲み物が手に入るのか分からない恐怖に怯えました。私は大阪に避難するまでの五日間、いつもの三分の一か四分の一しか食事が出来ませんでした。子供達でさえ、お腹半分も食べさせてあげられませんでした。震災の翌日、12日は次女の6才の誕生日でした。冷凍庫にはケーキが入っていて、それを食べる事もできました。しかし、その日はお腹半分位の食事を子供達が既にしていたので、「次、いつ食べ物が手に入るか分からないから、ケーキは非常食としてとっておいて欲しい」と子供達に頼みました。子供達は子供達なりにこの非常事態を受け止めて駄々をこねるような事は言いませんでした。 私は水分として水や牛乳、みそ汁なども含め、一日にコップ一杯程度の水分しかとれませんでした。私が健康だったから、何とか凌げましたが、病気の人でしたら命にかかわったと思います。 震災四日目、震災前に買っておいた春菊を食べる事にしましたが、有機野菜だったのでアブラ虫が一杯付いていました。いつもの私でしたら大量の水で洗い流す所ですが水道からは糸のように細い水しか出ていませんでしたので、いつまた「止まってしまうかも!?」という恐怖がありました。そこでティッシュペーパーでアブラ虫を払いました。どうしても取れない小さいアブラ虫だけを一円玉の半分位しかない僅かな水で洗い、生で食べたのです。 スーパーではあっという間に物が無くなりました。ガソリンもほとんど売っていなくてみんなパニックになったのです。私は政府や東電、マスコミにまで見捨てられたのだと思いました。そう思ったのは私だけではありません。道路が寸断されていたわけでもありません。「みんな放射能が怖くて物資が届けられないんだ」と思いました。私達は見捨てられたのです。そんな恐ろしい所が何故避難対象にならなかったのでしょうか? 私は「このまま福島に居たら、家族四人が餓死するかもしれない」と底知れぬ恐怖にかられました。「夫が避難出来ないのなら、せめて私と子供達の三人が福島を離れ、夫の食料を確保しなければ!」と思いました。 避難を決意した後も息の詰まるような緊張の連続でした。やっとの思いで、大阪の地に下り立った時、「ああ・・・ここでは息をしても良いんだー」と思い、息も絶え絶えになりながら、やっと安心して息をしました。道端には美しくも可憐なビオラの花が咲いていました。それを見た私の目からはとめども無く涙がこぼれ続けました。福島の我が家の庭では、春にはアスパラガスが、夏にはミニトマトがたわわに実り、子供達がそれらを無造作に取り、おやつに食べていました。なんてのどかで平和だったのでしょうか・・・。しかし、そんな穏やかで素晴らしい日々は二度と戻ってこないのです。 そして原発事故からの放射性物質より、子供の命を守るために家族離れ離れの生活です。夫は1年以上家族に会えませんでした。 辛過ぎます。情報を深く取って行くと、子供達だけが、心配なのではなく、大人も放射能の影響を受けるので大人の心配もしなくてはいけない事が判ってきます。 原発が存在し続けるという事は私達のような家族が増え続ける可能性があるという事です。 避難してくる人達に避難できる場所を残しておいて下さいますようお願い致します。 外国政府は日本の事をとっても心配して下さっています。にも関わらず、日本政府は、様々な場面で、国民を裏切り続けています。 日本が外国より総スカンをくらわないか本当に心配です。日本を病気の蔓延する死の国にしないで下さい。どうか真心でお考え下さいますよう心よりお願いいたします。(大阪府から)] ●元リンク●●[さようなら原発1000万人アクション]から2012年4月12日付『「みんなの電力宣言」に2日半で4,400人以上が参加』 ●つながリンク●●[エキサイトニュース]から4月19日付『元北電職員が実名激白 「原発ゼロでも電気は足りる。泊停止を機に自然エネ転換を」』 ![]() [……爆音とともに迷彩を施した大型の双発機が超低空で近づいてきた。東京・日暮里の自宅の物干し台で、たこを揚げていた少年は慌てて糸を手繰った。胴体に星のマーク。風防の中にはオレンジ色のマフラーを巻いた二人の飛行士が見える。やがて空襲警報が鳴り響いた。 米軍のドーリットル中佐率いるB25爆撃機十六機のうちの一機だった。] そうか。きょうは東京初空襲から70年経った記念日だったのか。 のちに大作家となる吉村昭さんがあわててたこを手繰ったその日は、1942年(昭和17年)4月18日、日本がパールハーバーを奇襲してアメリカとの無謀な戦争に突入した、わずか4か月後のことだった。 中国との戦争はとっくに泥沼化しており、ハワイ奇襲以来の連戦連勝ムードもウソだったわけだ。 [不都合な事実の隠蔽(いんぺい)は国を危うくすることは今も変わらない。]と筆洗は結んでいるが、東京初空襲のことをもっとくわしく知りたいと思い、パールハーバー以来の道のりをくわしく記録した記事[下リンク・1]を見つけた。 この鳥飼研究室を知ったのはネットをはじめた初期のころのことで、ちゃんと見れば読み応えのあるサイトなのだが、いつのまにか忘れていた。 パールハーバーについても、完璧に「騙し討ち」だったという論法を用いており、右翼にいわせたら噴飯もの、国辱ものとのそしりを免れないだろうが(笑)、しかし、この見方に立てばヒロシマ、ナガサキの原爆投下も別の視点で見えてくる。アメリカにとって原爆は人体実験、異人種蔑視にもとづく人権感覚の欠如のほか、明確で厳格な復讐意識に凝り固まった異常とも思える同族意識に根ざした結果が、あの大量虐殺を可能ならしめたのである。ニューヨークの9・11が俺にあたえた衝撃は、その瞬間パールハーバーとイメージが直結したからにほかならない。 パールハーバーの死者とニューヨークで起きた9・11の死者とを比較しようと思って検索したところ、こんな記述を見つけた。 ——ふと、(アメリカ)合衆国では、2001年9月11日の同時多発テロ事件犠牲者より、原爆による犠牲者のほうが多いことを知らない国民が少なくないという話を聞いたことを思い出した。[下リンク・2] 以下、ウィキペディアから。 小泉内閣 小泉内閣(こいずみないかく)は、小泉純一郎を内閣総理大臣とする日本の内閣。 第一次小泉内閣:2001年(平成13年)4月26日〜2002年(平成14年)9月30日[9・11勃発! アメリカが主導する対テロ戦争に賛意・追従] 第一次小泉内閣(第一次改造):2002年(平成14年)9月30日〜2003年(平成15年)9月22日[3月、イラク戦争開始! そのたった1時間後にアメリカに賛意表明] 第一次小泉内閣(第二次改造):2003年(平成15年)9月22日〜2003年(平成15年)11月19日 第二次小泉内閣:2003年(平成15年)11月19日〜2004年(平成16年)9月27日 第二次小泉内閣(改造):2004年(平成16年)9月27日〜2005年(平成17年)9月21日 第三次小泉内閣:2005年(平成17年)9月21日〜2005年(平成17年)10月31日 第三次小泉内閣(改造):2005年(平成17年)10月31日〜2006年(平成18年)9月26日 [この間、日本映画、日本のテレビドラマを含む芸術全般に至るまで、日本人総体にイラク戦争への反省はほぼ皆無!] なにをいいたかったかって? 9・11と、それにつづく日本人の劣化が小泉と共に歩いて(小泉に推進されて)きたことがこれで分かるだろうからである。こじつけとはいえまい? 1人1人の国民が胸に手をあててみれば思い当たることだ。 ●リンク・1●●[鳥飼行博研究室]から『東京初空襲と山本五十六暗殺:ドーリットル空襲 真珠湾攻撃の報復』 ●リンク・2●●[空飛ぶ教授のエコロジー日記]から『〈徒然〉9・11死者数・原爆死者数・イラク戦争死者数』 凄いなあ、この人は![空飛ぶ教授のエコロジー日記]↑ はじめてブログを訪ねた際は、なんとなく3・11についてどんな感想をもってたかさかのぼってみるのを常としているが、『2011-03-12 自宅』というタイトルで、もうこんなことを書いている。 [……その後、水曜日から実施される予定だったGEOSS-AP symposiumについても、GEO事務局が中止を決定した。 決定的だったのは、福島原発のクラッシュだ。6時前の時点で、スリーマイル島原発事故のレベルをこえるだろうと判断した。チェルノブイリ並みの事態は避けられると思ったが、情報が乏しく、不確定性が高い。この状況で、海外から研究者を招くわけにはいかない。 福島には親戚や知人の家族が暮らしている。現在、断水状態にあり、トイレの水も使えない。さらに、停電地域がひろがっている。照明も暖房もなく、寒さに耐えている方々が大勢いらしゃるに違いない。一刻も早い復旧を祈る。] ![]() 小説がすこしも書けない。 それというのも、ブログ更新にかまけているためだ。 といって文句をいってるわけではない。 書きたくなくてもあとからあとから書かなきゃいられぬことがつぎからつぎと湧いてでてくるのだからしょうがない。いまだって去年から宿題にしてるネタがひきだしに、3つや4つじゃなく眠ってる。 困ったもんだ。 で、しかたなく目のまえに貼っておく訓示をかんがえたのだ。 賞味期限、消費期限のない1年ものです。 どういう意味か分かりますか? 一日一善、じゃないけど(笑)「1日」にかけた時計の時刻表示。これも意味があります。 針が微妙にいいかげんですが、「7時に起きて、おそくとも1時ちょっとまえに寝ろよ」という意味です。 寒い時にはしっかりまじめに起きてたのに、暖かくなったこのごろでは、また自堕落なことになって、日々反省の連続です。以前は2時に寝ても、7時にはきちっと起きてたのに。 といって寝不足になることはありません。 俺の室内用車イスは背もたれの上半分をとっぱらってあり、ご飯机に背中を着けて頭をうしろに倒すといいぐあいに仮眠できるのです。これの難は、ともすると無呼吸症候群を起こして一瞬息が苦しくなるのですが、まあ、もともと15分かそこらも頭を休めれば御の字なので、死ぬことはないでしょう。 あ、こんど耳鼻科にいった時、きちんと訊いておこう。 あとは「枚」のてまえ。 正の字が2つならんでますよね。正は数の増えてくのを表わす漢字として、一文字「5」になりますよね、それが2つで「10」「枚」、つまり1日に書く小説の努力枚数なのです。 友だちの元編集者がいうには、プロの作家をめざすには1日10枚くらい書けねばダメだということで、さてさて目標は立てたがどこまで実現可能か。 で、写真の女ポリス。4文字の訓示ではA4写真版用紙に余白ができすぎ(笑)、どうせならともってきた画像。 土屋アンナでも良かったが大きいのは首かしげた画像しかなく、鞭でしばくような顔でもなく(笑)、思い出したのがこないだ記事にしたインド警察のナミータさん。目標どおりにノルマこなせなかったら「月に代わってお仕置きよ!」というわけです(笑)。 いや、それだけでなく、SMイメージ喚起にはぴったりのキャラでして、しょっちゅう目にしてればあれこれSMアイデア浮かぶことまちがいなしです。 ということできょうは小説書かせてくれ! それから4時間以上経って……いま、20時40分。 3枚しか書けなかった(恥)! 註: タイトルの「はかどらんた」は当記事のテキストファイルのタイトル。 ブログホンマタイトルのコードネームは「ブログ」「ホンマ」「タイムス」の一字ずつを取って「ブンタ」。その記事タイトルを建てる時には、記事内容に「んた」を付け、「大飯関連」なら「おおいんた」、「おばあちゃんの記事」なら「おばあちんた」(笑)。これでスケベ小説と差別化してる(笑)! ![]() 俺はこれまで、東京新聞に非ずんば新聞に非ずとまでいってきた。 この東京新聞が3・11以降、あいかわらず原発の…… おっと、「呪縛」だなどと責任のがれな言い訳はさせないぞ。 はっきりという。アメリカべったりと目先の金、欲得のためなら国の命運をもかえりみない「利権」ごりごりの他マスゴミとは一線を画して「脱原発」に舵を切ったのが、3月29日付東京新聞『節電シナリオを描け』だった。 電力供給不安が企業側の主張のみで、まだまかりとおっている現状とはいえ、[原発頼みのエネルギー政策の将来を見据えた節電シナリオを示すべき]という主張は、ライフスタイルを経済中心主義から人間中心主義に切り替えるべき、というこれからのまっとうな生き方からすればいささかも古さは感じない。ただ、いま、この社説はウェブからは消えている。 その代わりという意味からも、東京新聞の脱原発姿勢は先鋭化はしても、揺らぐことはなさそうだ。 きのうの社説、『地元、国民の安全どこへ 政府の大飯再稼働方針』は、俺のいいたいことを残らず吐き出してくれたようなものだった。 [福島第一原発は今も、小規模な核反応が止まらずに汚染水を排出し、残骸をさらし続けている。帰れない人がいる。その数は十六万人に上る。なりわいを奪われ、健康不安を抱え、地域のきずなは引き裂かれ、美田や美林の荒廃になすすべもなく、海の幸をとることもかなわない。がれきの後始末さえ、めどを付けられないでいる。 その現実にあらためて接したうえで、それぞれの心に問いかけてみてほしい。「本当に、責任など取れるのか」と。] 枝野の語る政治の「責任」を突いている。 彼は大飯原発再稼働について、不測の事態への対応があまりに不十分ではないかと記者団に問われ、こう答えたという。 「我々が今持っている知見では把握しきれない、予想を超えるもの(地震・津波)があり得る。 じゃ、どこまで対応するのかと。おそらく100メートルを超える津波が来れば、日本中の原発が全部水かぶって全電源が止まる。それを全部想定するのか」 そう開きなおったうえで、「政府が今後、大飯原発の再稼働を決めた後で、その判断がもとで大きな事故が起きた場合には政治が責任を負う」と言い切った、その際の「責任」を突いているのである。 これを読んで怒りより呆れた。 政治家というのはよほど忘れっぽいのか、人を人とも思わないのか。いや、後者であろう。それでなくては小泉のように、わずか1時間でイラク戦争参戦を決め、他国を侵略して100万からの人間を死に至らしめるという鬼畜な所業をできるはずがない。 いま、平気で生きている人間が、よく「責任」などといえるものだな。 おい、枝野! おまえ、責任というなら3・11から数日の当時に立ち返って思い出せ。福島原発爆発のあとの初期対応のまずさで、いったいどれだけの人間を被曝させたと思ってるんだ。しかも、子どもたちを含む何十万もの人々を高線量地区に押し込め、放射能とストレスによって日夜健康をむしばんでいる。これは罪ではないのか。 責任というならおまえなどとっくに死んで詫びなきゃならない立場だろう。いや、おまえごときゴミが何百人死んだってあがなえる罪ではないんだ。その意味では菅も同罪だ。 きのう、某サイトのこんな書き込みに目が点になった。 [東京新聞は新聞社として脱原発の方向を向いているとのことだが、たしかにきょう4月14日の「大飯原発再稼働」問題への批判を、1、2、3、4面、27、28面、合計6面を使って大々的に報じている。] あわて者の俺らしく、一瞬には東京新聞読者でもある施設仲間のエイサクを思い出し、電話したが不在。よくかんがえたら近所に販売店があるのを思い出し、文京区まで行く必要はなくなった(単なるバカ)(笑)。 届けてくれるというのを、それで契約させられちゃかなわんと(笑)、自分から取りにいったものだが、熱烈なファンであることを告白したのはいうまでもない(笑)。 その店主が意外なことをいう。 朝日の読者が週刊金曜日などを通じ、東京新聞の良さを知って朝日から東京に変えるよう、運動してるくらいだといって、てっきり脱原発で読者が増えたかと思ったら、ところがそうでもないらしく、むしろ減ってるくらいだというのだ。俺はがっかりした。 まだまだ分からないバカか多いのだな。 といって、これ以上日本で原発をつづけられるわけがなく、読売を取ろうが産経を取ろうが脱原発意志に変わりはないのかも知れないが。なぜなら、鈴木邦男さんだって脱原発だからって産経やめたわけじゃない(笑)。 まあ、そんなわけで、ウェブの要約ではなく、ひさしぶりに東京新聞の現物を見たわけだが(笑)、俺のそそっかしさは記念物なみだなあ。最前のブログ、もうすこしまえの記事までさかのぼれば無駄足しなかったのに。 4月11日の日記にこうあった。 [東京新聞朝刊読み応えあり! 2012年4月11日付朝刊『浜岡停止10日間の攻防(2011・4・27~5・6)』 8面9面の2面を丸ごと使っての大特集。とても要約できない。永久保存版として、是非購入お薦めです。 サイトでは読めない。] 「サイトでは読めない」とあったが…… またえっちらおっちら行くのもめんどうで、というよりできるだけ拡散したく、新聞紙面を大画像でスキャンしたものでも出回ってないものかと、画像検索したところ、意外にも引っかかった。 さすが、東京新聞である。こうして残してくれていた。『節電シナリオを描け』の時とおなじだ。こうして脱原発を運動してる。 中日新聞 CHUNICHI WEB 特集サイト 『浜岡原発停止10日間の攻防』 ●浜岡停止、他の原発再稼働布石に ●1.シナリオ ●2.手詰まり ●3.響く怒号 ●4.主導権争い ●5.知事の電話 ●6.高まる不信 ●停止をめぐる動き(上記の流れを、略図で表しています) これを読んで分かった。 要するに、浜岡のツケを払わされるべく各電力会社のごきげんうかがいをしている、それが大飯原発再稼働問題をふくむごたごた、民主党政権の脱原発に対する腰の座らなさなのだ。 ![]() 最新東京新聞(14日21時42分付)が伝えてる。[枝野経済産業相は14日、福井県庁で西川知事らと会談し、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に同意するよう要請した]。しかし知事は「大飯の地元は関西」という認識のもと同意を先送りした。当然である。情況は国民大多数が脱原発を志向し、1年前とはまったく様相を別にしている。 民主党政権は野田になってもなお、菅政権の時と同様、姑息な手段を弄している。 最初から茶番なのだ。すんなり脱原発に舵を切ればいいものを、まだ原発マフィアから駆け込み甘い汁を吸っているのか、圧力に抗しきれないのか国民世論の轟々たる動きをバックにしないと走り切れぬのだ。 あの時とおなじだ。1年前、玄海原発を動かすかどうかで、地元玄海町と福井県を罠にかけた菅政権がやってきた焼き直しなのだ。 菅はあの時、おそらく地元の反対を確信していたのだろう。そらそうだ、福島原発爆発のあとであればとうぜん、国民すべてが脱原発に向かうというのが常識的見地だ。 ところが地元玄海・岸本町長も古川佐賀県知事も利権まみれのままで、責任は政権に押しつけながら、自分らは濡れ手で粟をつかむ算段だった。それでしかたなく出した奥の手がストレステストだったわけだ。 浜岡原発停止も、じつは再稼働との取引条件をだした電力会社との「やらせ」だったという報道がでてきた以上、菅政権唯一の成果も急転直下色あせたが、ところが「浜岡だけ!」という“特別扱い”が、「浜岡がダメならほかだって」という思わぬ効果を生んで(笑)問題が拡散、脱原発機運が高まった。 後手後手が問題を大きくし、かえって脱原発を促進する結果となったということは皮肉のきわみだが、はたして冷静にかんがえて、いまの日本で原発を動かせると思うのか? 一朝ふたたび大震災あらば、大震災なくても劣化した原発からはどんな不測の事態もかんがえられ、福島惨事再来となれば日本の、残る大地のおおかたも穢され、こんどこそ食うに食なく、飲むに水なく、こんな日本に世界のどこからも人はこなくなるんだぞ。 きのうの東京新聞の記事を要約する。 [野田佳彦首相と枝野幸男経済産業相ら関係三閣僚は13日夜の会合で、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の安全性と必要性が確認できたとして再稼働を認める方針を決めた。 枝野氏は十四日、福井県を訪れ、西川一誠知事、おおい町の時岡忍町長らに説明する。 枝野氏は再稼働を最終決定する時期について「七月以降に猛暑が来る可能性があるので、それまでに理解いただければありがたい」と述べた。 この日の協議では、二基が新たな安全基準を満たしていることを最終確認。さらに再稼働しなければ、二〇一〇年並みの猛暑だった場合、今夏に最大二割以上の電力供給が不足するとする関電の見通しについても、専門家の検証を受けないまま再稼働は必要と結論づけた。 枝野氏は記者会見で「地元はじめ国民から一定の理解を得ないと再稼働はしない。理解を得られるよう最大限努力する」と強調。理解が得られない場合は、関電管内の企業や家庭に一〇年夏の最大電力に比べ「20%プラスアルファの節電をお願いする」と述べた。](4月14日付朝刊『大飯再稼働政府方針決定』) 最終決定を示唆する7月まで、5月5日から全原発が停止していることをお忘れなく(笑)。 なんどもいうが、姑息な政権だ。 どうせならスパッと「脱原発」に舵を切れば政権も民主党も株を上げるのに、それができない。というのも、原発撤廃に舵を切るには、政権関係者の2、3人は死なねば(殺されねば)ならないくらい原発マフィア(電力各社総出)の反撃は凄いということだろう。 自身の過失で大量被曝者をだす被害を生じさせながら、詫びるでもなくすんなり賠償するでもなく、「値上げは権利」と言い切る東電の横暴と傲慢。さらには電力会社の儲けのために政治がきりきり舞いさせられてる情況。 こんな伏魔殿、治外法権な利益共同体をつくった自民党は、どれくらいの悪党か計り知れない。こいつらこそ一人残らず抹殺されるべき運命だろう。自民党の犯罪性を思えば怒り心頭、ハラワタが煮えくりかえる。 といって社民や共産に政権をになう力もなし、両者結束して民主、自民を打倒して真に国民の側に立った脱原発政権をつくるほどの度量もなし。いやでも民主党に頼らざるを得ない現状からは叱咤激励する以外ないのだ。 この国はいつになったら救われるのだ。 以下、大飯原発が「こんなに危ない!」という某番組を文字起こしやら解説やらで上手く読ませてくれるサイトのリンク。 2つ目は、同サイトの別記事。「どんでん返し」ということばがこれほどぴったりの記事はないという見本!(笑) ●おおい! 危険だリンク(笑)●●[みんな楽しくHappy♡がいい♪]から『そもそも大飯原発を今再稼働して本当に いいんですか?4/12後藤政志氏・嘉田由紀子知事・そもそも総研(動画・内容書き出し)』 ●ものはいいようだリンク●●[みんな楽しくHappy♡がいい♪]から『原発の事故の怖さを知りつつも、 でも原発に頼っていかなきゃいけない「原発再稼働わたしはこう思う」野口健さん4/13(内容書き出し)』 お。赤旗の記事が……きょうはタイタニック号が沈んだ日なんだってよ! しかも100周年記念日だ!(画像は1958年のイギリス映画『SOSタイタニック 忘れえぬ夜(原題“A NIGHT TO REMEMBER”)』より) ![]() ●動画リンク●●ユーチューブから“A NIGHT TO REMEMBER”4/13(これの途中に氷山接触、“悲劇”へと物語は進行する) ![]() 原発で問題になっているのは電力が不足か余剰かの是非だ。 きょうの赤旗(『「電力不足」は政府の脅し』)がそれを取り上げている。 「もともと、政府の試算は需要を過剰に見積もったり、供給力を少なく設定するなど十分でない点があ」るとしたうえで、民間非営利団体の環境エネルギー政策研究所(ISEP)が昨年10月に発表した報告を載せた。 すなわち、設備を再点検して供給力をチェックし、需要も昨夏なみの節電を——ただし、もっと楽な方法で実施しても、原発全停止でも17%以上の余裕があるとし、厳しい電力需要が予想される関西電力や九州電力においても、節電取り組みを経た中部電力、中国電力など他の電力会社からの電力融通により、電力不足にはならないとしている。 ここでのキーワードは「節電」だが、この節電が大企業には耳障りなのだ。 忘れもしない去年3月29日の東京新聞社説『節電シナリオを描け』。そこでも「節電」がキーワードとしてこうあった。 ——まずは、私たちが電気漬けの日常を、こまめに節電する生活様式に切り替えることが求められる。通勤前の朝八時ごろに集中する温水洗浄便座の電源を断てば全国で原発四基相当分、テレビなどの待機電源を切れば一割節約できる。…… 俺は我が目をうたぐった。温水洗浄便座ってなんだ? あ、ウォシュレットのことか、って、目をうたぐったのはそのことではない(笑)。「原発4基分」だ。 その時には、「ウォシュレット風情がなんと膨大な電力を消費してるのか!」というおどろきに目をうたぐったのだ。 だが、それもちがった。まったくの逆さまだった。 というのも…… さいきん、毎日の楽しみはブログの解析だ。 以前は気にもしなかったアクセス数。これは相変わらずショボイばかりで見る影もないが、それよりどんな記事が読まれてるか、それをチェックしてる。 と、ここまで書いて…… 途中ですが、この場を借りて、きのう記事名『エロらんか!』においでいただいた4名様。せっかくのエッチエッセー『男の劇場』のリンクがすべてはずれてました。たったいま、復帰しましたので再度のお越しをねがい、お詫びにかえさせていただきます。 m(_ _)m で、もとにもどりますが…… 昨年5月31日付記事『削除された「元東電社員の告発」文字起こし』のなかに、「原子炉の認可出力」としてこういう一節がある。 ——例えば福島第一の1号機だったら、1,380メガワットなんですよ、原子炉の出力は。1,380メガワットを電気にすると、46メガワットで、東京ディズニーランドを1日動かすのに必要な電気は57メガワット。だから、福島第一の1号機じゃ東京ディズニーランドは動かないんです。足りないの。 メガワットが2種類出てきて面食らうが、そんなことはどうでも良い(笑)。要は、この部分! ——福島第一の1号機じゃ東京ディズニーランドは動かない その厳然たる事実が原発の真実を言い当てているといって過言ではない。つまり温水洗浄便座が電気を過剰に食うのではなく、原発1基が東京ディズニーランドたった1つの1日の電力にも満たないということなのである。 逆にかんがえたらこういうことになる。 電気が足りずにのっぴきならなくなったら、原発を動かすよりディズニーランド1つつぶせばいい。そんなムダはいくらでもあるだろう、だが、それで儲けてる奴らがそれを易々と止めるか? と、そういうことである。 原発を停めるか、停めないか、日本が生き残れるか、滅びるかは、資本家を屈服させられるかどうか、熾烈な戦いの末に得られる高い代償なんだろうなということである。 ●元リンク●●当拙ブログ2011年5月31日付元記事『削除された「元東電社員の告発」文字起こし』 ●追っかけリンク●●上記「元東電社員」が素顔と実名で登場! おすすめ[ざまあみやがれい!]2012年4月5日付から『元東電社員・木村俊雄「東京電力に手玉に取られてますよ、規制側は」——報ステ「原発再稼働 私はこう思う」より』 ●関連リンク●●[Various Topics]から『人物4-元東電社員の木村俊雄さんが人々に与える影響』2つ目のリンク、コメント欄に『削除された「元東電社員の告発」文字起こし』との同一性がうかがえる ![]() それよりは文章でのほうが、プロパガンダには長けていた(笑)。文章なら推敲、書き直しが利くからね。 しかし、そんな俺でも、某重度障害者施設での座り込みに端を発した、某運動を立ち上げた時の設立集会でぶち上げた“演説”は受けた。某ルポライターをして「名アジテーター」と評さしたほどだが、その時、火事場の馬鹿力を発揮させた原動力は、座り込みした某重度障害者施設職員だった某女性への俺の一途な思いにほかならない。 では、この人たちにこんな名演説をさせた原動力はいったいなんだったのだろう。 去る3月24日、東京・日比谷野外音楽堂で開催された、「再稼働を許さない さようなら原発1000万人アクション」での発言録である。画像は発言順で、上左から鎌田慧さん、澤地久枝さん、辛淑玉さん、大内良勝さん、下左から小島誠さん、川野浩一さん、落合恵子さん。 ●鎌田慧さん(ルポライター)は、福島原発爆発後の政府の対応は、あの戦争の時とおなじだといった。福島の惨事は“第二の広島”だと。そして、[福島の次の“第二の長崎”をつくらない。そのために今がんばらないと、子どもたちに禍根を残]すと。 ●澤地久枝さん(作家)は10人に1人と仮定して1000万人署名は軽いと思っていたが、原発利権の闇の深さを知って愕然とした。放射能を計測する機械が足りなすぎる、[54基も原発があって放射能を測る機械がないというのは本当にばかげている]と怒る。 ●辛淑玉さん(人材育成コンサルタント)は、福島に原発を置いてきたこと=沖縄に基地を置きつづけること、海の汚染=水俣病の人を差別してきた構造、そして福島だといった時に周囲が受ける不安や結婚差別=被曝二世・三世へも通ずる差別の普遍性だと指摘した。 ●大内良勝さん(3・11福島県民大集会実行委員長)は[逃げた子どもたちは2万人]だが[逃げられない子どもも2万人以上]いると訴え、[出方がわか]らない福島の人たちが気軽に声を発せられるよう、このアクションを成功に導きたいとの決意を述べた。 ●小島誠さん(新潟県平和運動センター副議長)は、柏崎刈羽原発停止を目前に、2007年の中越沖地震の際の衝撃を語り、以来、脱原発闘争にますます力を入れて闘ってきたものの、福島原発爆発は痛恨の極みと運動の力不足を詫び、全原発廃炉への決意を新たに。 ●川野浩一さん(原水禁議長)は[戦争好きの政治家は技術抑止力すなわち原発を動かし続けることでいつでも核兵器をつくる能力を維持する、核兵器保有予備軍でありたい]企みを直視、きたるべき東南海地震などに備え、全原発の凍結のため運動の発展を呼びかける。 そして…… 泣けた! この呼びかけを語る時、この人の胸に去来したのはどんな人たちの、どんな姿だったのだろう。それを想像しながら読んでくれ! ●落合恵子さん(作家・呼びかけ人) どんな状況でも、まずお元気ですか、元気でいてくださいと心から祈るように思います。 とくに福島の子どもたち、元気でいてください。 全国各地で、反・脱原発の活動をしているそれぞれの人たち元気でいてください。 そして今日ここにお集まりの、外にもずっとあふれておられますが、一人一人の方々、元気でいてください。 でも、疲れたときは「疲れた」と言っていいのだと私は思います。辛いときは「辛い」と言っていいのだと思います。権力はいつだって市民のがまんと忍耐の上に太ってきたのです。だから私たちは、辛い、痛い、悔しい、私あまり使わないけど「バカヤロウ」って言ったってかまわないんだと私は思います。 世界に誇るべき憲法に記された基本的人権を踏みにじっているのはこの国なのです。だから私たちは怒ります。語り続けます。為政者に私たちは叫んだっていいんです。「あなたたちは憲法違反をしているんだ!」って。 あと十数分であの日から1年とまるまる13日になります。 私たちは忘れません。「僕たちいくつまで生きられるの」と聞いた福島の子どもの目を私たちは忘れません。「そんなに安全ならお台場につくれよ」と叫んだ福島の女子高生のあの声を。そして私たちは忘れません。「年寄りは足手まといになります。私はお墓に避難します」と書いて亡くなったあの高齢の女性の震えるような思いを。 2011年3月11日から私たちは、この社会を本当の意味で命と人権に根ざした第二の私たちの誕生日を迎えるために踏ん張り続けたいと思い、今日ここにいます。 福島第一原発は何一つ収束していないにもかかわらず、大飯原発3号機、4号機を再稼働への手続きと、野田政権はもうすでに地元説得という形をとっています。地元説得です。全国民を説得することはできないと私は信じています。崩壊した安全神話の上に再びの安全と安心神話を彼らはつくろうとしていますが、決して私たちはだまされない。 もう一度2011年3月11日に戻りましょう。いまだに何一つ解決していない原子力発電を動かせば動かすほど毎日核廃物が——廃棄物じゃないです廃物です。廃物がたまっていくのだということを100年しかせいぜい生きられない私たち人間が10万年も生きる放射能をどうやって見届けていけばいいのですか。 原子力発電は原爆と変わりがありません。私たちは忘れません。つくっても持ってもいけないものなのです。両方とも。 もう一度2011年3月11日に戻りましょう。どんなに安全・安心を謳っても原発事故は起きたじゃないですか。私たちは体験したのです。 もう一度2011年3月11日に戻りましょう。福島の人はもちろん、日本中、世界中の人々を恐怖に陥れたのです。未来の子どもにまで危険を残してしまったのです。 もう一度2011年3月11日に戻って心にしっかり刻み、未来の子どもたちに向かって、私たちは軍縮じゃない全ての核を捨てることと全ての原発を廃炉にもっていくことをここに誓いましょう。 もう一度、もう一度です。 元気ですか。 元気でいましょうね。 私たちは長生きしましょうね。 全てを見届けていきましょうね。 生きている間に答えを出す。 元気で、風邪ひかないで、ありがとうございました。] (2012年3月24日 3.24再稼働を許さない さようなら原発1000万人アクション発言録より) ●関連画像リンク●●[Galleria Kamex 画像掲示板]から『原発ゼロへ!止めよう再稼働 4・11アクション2012/04/11写真集 管理人かめよんさん撮影』 ●関連記事リンク●●[田中龍作ジャーナル]から『〈大飯原発・再稼働〉 「バタバタ決めて許せない」 怒れる市民が雨のなか都心を行進』 ●引用リンク●●[さようなら原発1000万人アクション]から『3.24再稼働を許さない さようなら原発1000万人アクション 発言録』 会では7月の大集会に向けて脱原発1000万人署名を集めており、このほどそのうち600万人を超えたということだ。 また、5月5日、東京芝公園で行なわれる「原発ゼロを祝う集会」に向けての、原発再稼働を阻止する署名も精力的に集めている過程である。ぜひ協力してください。脱原発を国民総意の運動にしましょう。 ![]() ![]() ![]() おそらくゆるやかに倒れたのだろうな。かねて懼れられている東京直下型地震とやらで、墨東、江東などの液状化地区がもろにやられた時にはこのような図が再現されるだろう。わが街も一部入っているから怖い! きょうまた地震があったよね。 いったい、3・11以降どれだけ世界で地震があったかと思っちゃう。それで調べた。 3・11以降…… 2011年6月23日(アメリカ)アリューシャン列島付近でM7・2 2011年7月7日(ニュージーランド)南太平洋のケルマデック諸島でM7・6 2011年8月24日(ペルー)ペルー東部でM7・0 2011年9月2日(アメリカ)アリューシャン列島でM7・1 2011年10月23日(トルコ)トルコ東部でM7・2 2012年2月6日(フィリピン)ネグロス島沖M6・9 2012年3月20日(メキシコ)メキシコ南部でM7・8 2012年3月25日(チリ)チリ中部でM7・2 そしてきょう、2012年4月11日(インドネシア)スマトラ沖M8・7! 平均してほぼ月一の割に起きてるってんだから地震の活動期は日本にかぎらず地球規模だったということが身に染みて分かる。 じつは最近、日本の地震年表をみておどろいた。3・11に向かって地震の頻度がどんどん上がってきてたのだ。 長いが資料的価値を重んじ、1960年からいままでのを一挙掲載する。 3・11以降はモーメントマグニチュードを採用するようになったようだが、「過大に表現して原発災害の実相をぼかそうとするかのような動き」には抗議したく、3・11時点の数字は旧マグニチュード表記をもちいた。また、出典はウィキペディアなのだが、2月の佐渡の震度5強が洩れてるなど(独自に追加)信頼度は低い。目安程度にとどめて欲しい。 1960年(昭和35年) 3月21日 三陸沖で地震 - M 7.2。 5月23日 チリ地震に伴う津波 - 日本国内での死者142人。 1961年(昭和36年) 2月2日 長岡地震 - M 5.2、死者5人。 2月27日 宮崎県沖で地震 - M 7.0、死者2人。 8月12日 釧路沖で地震 - M 7.2 8月19日 北美濃地震 - M 7、死者8人。 1962年(昭和37年) 4月23日 十勝沖で地震 - M 7.1。 4月30日 宮城県北部地震 - M 6.5、死者3人。 1963年(昭和38年)10月13日 択捉島沖で地震 - M 8.1、三陸沿岸で津波。 1964年(昭和39年)6月16日 新潟地震 - M 7.5、死者26人。最大震度 5。 1965年(昭和40年) 4月20日 静岡県で地震 - M 6.1、清水付近で大きな被害、死者2人。 8月3日~1970年6月5日 松代群発地震 - 最大M 5.4(1966年4月5日)、全地震のエネルギーの総計はM 6.4相当。 1966年(昭和41年) 与那国島近海で地震 - M 7.8、与那国島で震度5、死者2人。 1968年(昭和43年) 2月21日 えびの地震 - M 6.1、死者3人。 4月1日 日向灘地震 - M 7.5、死者1人。 5月16日 十勝沖地震 - M 7.9、三陸沿岸で5mの津波。死者・行方不明者52人。最大震度 5。三陸沖北部の固有地震。 6月12日 三陸沖で地震 - M 7.2。 10月8日 小笠原諸島西方沖で地震 - M7.4、深さ480km。 1969年(昭和44年) 8月12日 北海道東方沖地震 - M 7.8。 9月9日 岐阜県中部地震 - M 6.6、死者1人。 1970年(昭和45年)5月27日 小笠原諸島西方沖で地震、- M 7.0、深さ440km。 1971年(昭和46年)2月26日 新潟県南部で地震 - M 5.5、死傷者13人。新潟県上越市で最大震度 4。 1972年(昭和47年) 2月29日 八丈島東方沖で地震、 - M 7.0、八丈島で最大震度5。 12月4日 八丈島東方沖地震 - M 7.2、八丈島で最大震度 6。福井地震以来、震度6の観測事例が無く、この地震で24年ぶりに公式に震度6を観測した。 1973年(昭和48年)6月17日 根室半島沖地震 - M 7.4、北海道で最大震度 5、津波地震。 1974年(昭和49年) 5月9日 伊豆半島沖地震 - M 6.9、静岡県で最大震度 5、死者30人。 11月13日 鳥島付近で地震 - M 7.3、深さ420km、最大震度4。 1975年(昭和50年)6月10日 北海道東方沖で地震 - M 7.0 、最大震度は1と小さいが色丹島で4~3.5m、花咲港で95cmの津波を観測。 1978年(昭和53年) 1月14日 伊豆大島近海の地震 - M 7.0、伊豆大島と神奈川県で最大震度 5、死者25人。 6月12日 宮城県沖地震 - M 7.4、宮城県などで最大震度 5、死者28人、津波あり。 1980年(昭和55年) 6月25日~7月 伊豆半島東方沖で群発地震 - 6月29日に最大M 6.7、最大震度 5が発生。 9月25日 千葉県中部で地震 - M 6.0 - 6.1、最大震度 4、死者2人。 1981年(昭和56年)1月19日 三陸沖で地震 - M 7.0、最大震度 4。 1982年(昭和57年) 3月21日 浦河沖地震 - M 7.1、北海道で最大 震度 6。 7月23日 茨城県沖で地震 - M 7.0。 1983年(昭和58年) 5月26日 日本海中部地震 - M 7.7、秋田県で最大震度 5、日本海に大津波、死者104人。 6月21日 青森県西方沖で地震 - M 7.1、最大震度 4、日本海中部地震の最大余震。 8月8日 山梨県東部で地震 - M 6.0、最大震度 4、死者1人。 1984年(昭和59年) 1月1日 東海道はるか沖で地震 - M 7.3、深さ388km、最大震度 4。 3月6日 鳥島近海で地震 - M 7.6、深さ452km、最大震度 4。 8月7日 日向灘で地震 - M 7.1、最大震度 4。 9月14日 長野県西部地震 - M 6.8、長野県で最大震度 6、死者・行方不明者29人。 1987年(昭和62年) 3月18日 日向灘で地震 - M 6.6、死者1人。 12月17日 千葉県東方沖地震 - M 6.7、千葉県で最大震度 5、死者2人(関東における戦後初の被害地震)。 1989年(平成元年) 6月30日~7月24日 伊豆半島東方沖で群発地震 - 最大M 5.5、7月13日に伊豆東部火山群の海底火山が噴火。 11月2日 三陸沖で地震 - M 7.1、最大震度 4、久慈で1.3mの津波を観測。 1993年(平成5年) 1月15日 釧路沖地震 - M 7.5、北海道釧路市で最大震度 6、死者2人。 7月12日 北海道南西沖地震 - M 7.8、北海道道央、道南、青森県津軽で最大震度 5、死者・行方不明者230人。奥尻島などに津波。 10月12日 東海道はるか沖で地震 - M 6.9、死者1人。 1994年(平成6年) 10月4日 北海道東方沖地震 - M 8.2、北海道道東で最大震度 6、死者・行方不明者は北方領土で11人。 10月9日 北海道東方沖で地震 - M 7.3、釧路市で震度 4、北海道東方沖地震の最大余震。 12月28日 三陸はるか沖地震 - M 7.6、青森県で最大震度 6、死者3人。 1995年(平成7年) 1月7日 岩手県沖で地震 - M 7.2、八戸市で震度 5、三陸はるか沖地震の最大余震。 1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - M 7.3、兵庫県南部で最大震度 7、死者・行方不明者6,437人。当初は最大震度6だったが、実地検分により7に修正された。 12月4日 択捉島付近で地震 - M 7.7(北緯 44.58度、東経 149.39度)。根室 17cm、八戸 13cm、釧路 10cmの津波を観測。 1997年(平成9年)5月13日 鹿児島県北西部地震 - M 6.4、最大震度 6弱 1998年(平成10年) 4月20日~5月 伊豆半島東方沖で群発地震、最大 - M 5.7、最大震度4。 5月4日 石垣島南方沖地震 - M 7.7、一時津波警報発令。 8月20日 鳥島近海で深発地震 - M 7.1。 9月3日 岩手県内陸北部地震 - M 6.2、最大震度 6弱。 2000年(平成12年) 1月28日 根室半島南東沖で深発地震 - M 7.0、釧路市などで最大震度 4。 3月28日 硫黄島近海で深発地震 - M 7.9、震源の深さ128km、小笠原で震度3。 7月1日~8月18日 新島・神津島・三宅島近海で地震 - M 6.5が2回(7月1、30日)、M 6.3が1回(7月15日)、最大震度 6弱の地震を6回観測(7月1、9、15、30日に各1回、8月18日に2回)、死者1人。約1ヶ月後に三宅島が噴火。地震活動は6月26日から始まった。 8月6日 小笠原諸島西方沖で深発地震 - M 7.2、震源の深さ445km、小笠原で震度 4。 10月6日 鳥取県西部地震 - M 7.3、鳥取県西部で最大震度 6強。(日野町で震度 7相当を観測、防災科学技術研究所Kik-netの計測震度計による) 2001年(平成13年) 3月24日 芸予地震 - M 6.7、広島県南部で最大震度 6弱、死者2人。フィリピン海プレート内の地震。 12月18日 与那国島近海で地震 - M 7.3、与那国島で震度4、西表島で最大高20cmの津波を観測。 2003年(平成15年) 5月26日 三陸南地震(宮城県北部沖地震、東北地震) - M 7.0、岩手県・宮城県で最大震度 6弱。太平洋プレート内の地震。 7月26日 宮城県北部地震 - M 6.4、宮城県北部で最大震度 6強(このほかにも、前震と余震でそれぞれ1回ずつ震度6弱を記録)。 9月26日 十勝沖地震 - M 8.0、北海道新冠町、静内町、浦河町、鹿追町、幕別町、豊頃町、忠類村、釧路町、厚岸町で最大震度 6弱、死者2人。2mを超える津波が来襲し2人が飲み込まれ、後に1人が遺体で発見された。 同日6時8分頃、十勝沖で地震 - M 7.1。北海道浦河町で最大震度6弱。十勝沖地震の余震。 2004年(平成16年) 9月5日 紀伊半島南東沖地震 - 最も大きい地震は M 7.4、奈良県・和歌山県・三重県で最大震度 5弱。一時津波警報が発令。 10月23日 新潟県中越地震(新潟県中越大震災) - M 6.8 、新潟県中越地方で最大震度 7。計測震度計で震度7が観測された最初の地震。死者68人。震度6弱以上の余震を4回観測。川口町の地震計で当時世界最高の2,516ガルを記録。 11月29日 釧路沖で地震 - M 7.1、北海道釧路町、弟子屈町などで最大震度 5強、深さ48km。最大余震は4分後のM 6.0。同年12月6日にもほぼ同じ海域でM 6.9の地震が発生している。一時津波注意報が北海道太平洋沿岸東部に発令。 12月14日 留萌支庁南部地震 - M 6.1、北海道小平町で最大震度 6弱(5強とする見解あり)。 2005年(平成17年) 3月20日 福岡県西方沖地震 - M 7.0、福岡県・佐賀県で最大震度 6弱、死者1人。 8月16日 宮城県沖で地震 - M 7.2、宮城県で最大震度 6弱。宮城県沖地震の一つとみられる。 11月15日 三陸沖で地震 - M 7.2、北海道から関東にかけて最大震度 3。大船渡市で最大50cmの津波観測。 2006年(平成18年) 4月21日 伊豆半島東方沖地震 - M 5.8、静岡県伊東市で最大震度 6弱(東京大学地震研究所の計測震度計による。気象庁では震度4)。伊東市、伊豆市など伊豆半島各地で被害多数。 2007年(平成19年) 3月25日 能登半島地震 - M 6.9 、最大震度 6強。死者1人、小さいながら津波も発生した。 7月16日 新潟県中越沖地震 - M 6.8 、新潟県・長野県で最大震度 6強。柏崎刈羽原子力発電所では震度7相当との試算があるが、計測地震計によるものではない。柏崎市を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害。死者15人。ピンポイントながら最大1mの津波も観測されている。 同日15時37分頃、新潟県中越沖で地震 - M5.8、新潟県長岡市、出雲崎町で最大震度 6弱。 2008年(平成20年) 5月8日 茨城県沖で地震 - M 7.0、茨城県水戸市・栃木県茂木町で最大震度 5弱。午前1時45分に本震発生。同日には午前1時2分頃にM 6.4、その14分後にもM 6.3の地震発生。 6月14日 岩手・宮城内陸地震 - M 7.2 、岩手県・宮城県で最大震度 6強。山崩れや地滑りが多発。死者・行方不明者23人。一関西で観測された4,022ガルがギネス世界記録に認定。 7月24日 岩手県沿岸北部で地震 - M 6.8、岩手県九戸郡野田村などで最大震度6弱、死者1人。震源の深さ108km。なお、岩手・宮城内陸地震との関連性は薄いとされている。 9月11日 十勝沖で地震 - M 7.1。北海道新冠町、新ひだか町、浦幌町、大樹町で最大震度 5弱。 2009年(平成21年) 8月9日 東海道南方沖で地震 - M6.8 、深さ333km、関東から東北地方南部にかけて最大震度4。 8月11日 駿河湾で地震 - M 6.5、静岡県で最大震度 6弱。死者1人。最大40cmの津波を観測。気象庁は史上初の東海地震観測情報を発表。 2010年代 2010年(平成22年) 2月27日 沖縄本島近海で地震 - M 7.2。糸満市で最大震度 5弱を観測。負傷者2名。沖縄本島地方に一時津波警報が発令された。南城市で10cmの津波を観測。 11月30日 小笠原諸島西方沖で地震 - M 7.1、深さ490km、関東から東北地方南部の広い範囲で最大震度 3。 12月22日 父島近海で地震 - M 7.8、父島と母島で最大震度 4を観測。小笠原諸島に一時津波警報が発令された。八丈島で最大60cmの津波を観測。 2011年(平成23年) 3月9日 三陸沖で地震 - M 7.3。宮城県登米市、美里町、栗原市で最大震度 5弱。最大60cmの津波を観測。東北地方太平洋沖地震の前震とみられる。 3月11日14時46分頃 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災、東北関東大震災) - M 8.4、日本の地震観測史上最大)。宮城県栗原市で最大震度 7。他に東日本の7県で震度6弱以上を観測。死者・行方不明者約1万9000人。戦後最悪の震災。北海道から関東地方にかけて太平洋沿岸部への大津波で甚大な被害。福島第一原子力発電所事故を招く。3月11日以降の数日間に震源域から離れた場所で発生した地震も、誘発させた可能性が指摘されている。 同日15時8分頃 岩手県沖で地震 - M 7.4。青森県、岩手県で最大震度 5弱。東北地方太平洋沖地震の余震。 同日15時15分頃 茨城県沖で地震 - M 7.6。茨城県鉾田市で最大震度 6強。東北地方太平洋沖地震の余震。 同日15時25分頃 三陸沖で地震 - M 7.5。北海道、東北地方、関東地方の広い範囲で最大震度 4。東北地方太平洋沖地震の余震。 3月12日3時59分頃 長野県北部で地震 - M 6.7。長野県栄村で最大震度 6強、死者3人。 同日4時31分頃 長野県北部で地震 - M 5.9。長野県栄村で最大震度 6弱。 同日5時42分頃 長野県北部で地震 - M 5.3。長野県栄村で最大震度 6弱。 3月15日 静岡県東部で地震 - M 6.4。静岡県富士宮市で最大震度 6強。東北地方太平洋沖地震の誘発地震。 4月7日 宮城県沖で地震 - M 7.2。宮城県栗原市、仙台市宮城野区で最大震度 6強。死者4人。東北地方太平洋沖地震の余震。 4月11日 福島県浜通りで地震 - M 7.0。福島県いわき市や茨城県鉾田市などで最大震度 6弱。死者4人。東北地方太平洋沖地震の余震。 4月12日 福島県中通りで地震 - M 6.4。福島県いわき市、茨城県北茨城市で最大震度 6弱。東北地方太平洋沖地震の余震。 4月16日茨城県鉾田で震度5強。 6月30日 長野県中部で地震 - M 5.4、長野県松本市で最大震度 5強。死者1人。 7月10日 三陸沖で地震 - M 7.3。岩手県、宮城県、福島県で最大震度 4。岩手県大船渡港、福島県相馬港で10cm、宮城県仙台港で12cmの津波を観測。東北地方太平洋沖地震の余震。 10月3日~10月12日 富山県東部の長野県との県境近くで群発地震。10月5日にM5.4(最大震度3)、M5.2(最大震度4)の地震が相次ぐ。10月7日のM2.4(最大震度1)の地震による落石で死者1人。 11月8日 沖縄本島北西沖で地震 - M 7.0、深さ217km。沖縄本島地方で最大震度 4を観測。 2012年(平成24年) 1月1日 鳥島近海で地震 - M 7.0、震源の深さ約370km。東北南部から関東の広い範囲で最大震度 4を観測。 2月8日21時1分頃 新潟県佐渡付近を震源とするM5.7、最大震度5強。 3月14日18時9分頃 三陸沖で地震 - M 6.8。北海道、青森県、岩手県で震度4を観測。青森県八戸港で20cmの津波を観測。 同日21時5分頃 千葉県東方沖で地震 - M 6.1。千葉県と茨城県で震度5強を観測。死者1人。東北地方太平洋沖地震の余震。 註: 3月9日の地震、俺は3・11との因果関係にこだわったが、「東北地方太平洋沖地震の前震」とちゃんと認めてるんだね。とはいえ、それで予知はできなかったのかと不可解さはいまも消えないが。 3月12日の「長野県北部」「長野県栄村の最大震度 6強」(ほかに震度5弱も1回)も余震でなく3・11による誘発地震に訂正されたが、このうち栄村は新潟との県境にあり、一時「新潟と長岡二県」と誤報された。 4月16日の「茨城県鉾田で震度5強」も当初余震と報じられていたが、その後誘発による本震に訂正。
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